一周年

結婚記念日だった。
この一年安泰にて過ごしてこれましたのは、皆様の親身なご指導とご支援のお陰と存じ、深謝申し上げます。

結婚式が2日間もあると、どっちが結婚した日なのかわからない。
一応、1日目のイベントはまだ結婚申し込みの段階で、
2日目午前中の腕に赤い糸巻いてもらうので婚姻完了らしいので、
2日目の「2月21日」を結婚記念日ということにした。

どうせだから、結婚式が完了した後の、
平成22年2月22日を記念日にしたほうがいいんじゃね、と主張したが、
却下されてる。

ちなみに、カンボジアの役場に届け出て受領されたのは3月中旬で、
プノンペンの日本大使館に婚姻届提出したのが3月末で、
日本の戸籍に書いてある婚姻日付は4月だ。

結婚一周年のリクエストは焼肉食べ放題だというので、行ってくることにしよう。

在留資格認定証明書

嫁さんが日本に住むために必要な「在留資格認定証明書」。
申請から1ヶ月で無事発行されたので、これで1年は日本に住むことができる。

でも、まず日本に入るために、その証明書を持ってプノンペンの日本大使館で
ビザをとらなければならない。

その証明書は日本の実家に届いてる。
カンボジアで必要。
有効期限は3ヶ月、それまでに日本に入らないと無効。
なにかあっても再発行はできない。

これ、送って大丈夫かなー。
うちの親とかに頼んで、慣れないアルファベットで送り状書いてもらって、
EMSとかでカンボジアに送ってもらって大丈夫かなー。

知人に頼んで持ってきてもらうとかも、そんな簡単に調整つかないし。
twitterでつぶやいたら、知らない人3人くらいから「運んであげる」とか
言ってもらえてありがたかったけど、頼んでいいものかどうか。

あ、そういえば、ノースウエストじゃなくていまはデルタか
のマイレージがバンコク成田ただで往復分は貯まってたはず。
ネットで見てみたら、12月中旬で席とれるっぽい。

帰るかー。

結婚面接

ここ数日、RSSリーダーとかtwitter検索に引っかかるのはこればっか。

カンボジア政府、韓国人男性との国際結婚を禁止

https://jp.reuters.com/article/idJPJAPAN-14442320100322

なるほどなるほど、あれを書けってことか。

もう2ヶ月近く前になるか。
カンボジアでの結婚手続きの最後の難関として、警察インタビューがあった。
もう、こういうニュースにもなってるしはっきり書こう、韓国への人身売買を防ぐためだ。

その日、面接会場の内務省人身売買対策部には、
カンボジア女性ばかり6~7人集まっていた。
外国人も面接するって聞いていたのに、ここにいる外国人は私一人。
不思議に思いつつ面接が始まる。

てっきり、私と彼女は別々に面接して、内容が一致するか調べるもんだと思っていたが、
警察の制服の面接官の前に二人一緒に並んで会話スタート。
しかも、同じ部屋で他のカンボジアの女の子も一緒に面接していて内容丸聞こえ。

私たちの面接は、もう面接とはいえない世間話。「君らは何の問題もないよ」と。
業者も通さず、外国人の相手が同席してる時点で、もうパスしたも同然のようだ。
一応、いくつか質問があって、日本の警察と同様の一人称独白体の供述調書が作られた。
あっという間にインタビュー終了。

しかし、周りにいた他のカンボジア女性たちは違っていた。
隣の机にいたのは、18歳くらいのあどけない田舎のカンボジアの女の子。
どうやら韓国人と結婚するためにここに来たらしいが。

「どうして会ったこともない人と結婚を決めたわけ?」「…お互い気に入って」
「その相手はカンボジアに来たことあんの?」「…いいえ」
「じゃあ、どうやって結婚の話まで進んだの」「…電話とかメールとかで」
「へーその韓国人はクメール語しゃべれるんだ」「いいえ」
「あんたは韓国語しゃべれんの?」「…いいえ」
「英語はどれくらい?」「…あまり」
「じゃあ何語で話してたわけ!?」「……クメール語」
「おいおい冗談もいい加減にしてくれ、本当のことを言うまで調書は書かないからな」

ほんとにこんな感じで面接は進んでた。いや、進んでいなかった。

別のテーブルからは、
一日だけカンボジアに来た韓国人と会ったその日に結婚を決めたとか、
親戚が決めた結婚だから私は何もいえないとか、
そんな話ばかり聞こえてきた。

カンボジアの警察といえどさすがはプロ。小娘のでまかせなんか通用しない。
半分くらいの女の子が、まともに面接を続けてもらえない状態。
業者ももうちょっと女の子に入れ知恵すればいいのに、とか思ったりも。

はじめは、こんなインタビューやったところで意味があんの?と思っていたが、
意外ときちんと機能しているのかもしれない。

ただ、ここでインタビュー調書が作られなかった場合、この後どうなるのかは知らない。
事実、このシステムが出来た後でも、業者を通しての韓国人とカンボジア女性の結婚は、
かなり多くの数が成立している。

面接室を出ようとしたときに、入れ替わりに新しく面接に入ってきた女の子が、
ドル紙幣をバッグから取り出すところも見てしまった。

三日奉公

親や親戚や友人をアンコールワット観光させて、
昨日、空港から送り出し、ひとまず一仕事おわった。

そして今日、
シェムリアップからバッタンバンに帰ってきた。

結婚後はシェムリアップに住むつもりなんだけど、
なんだか、結婚式の直後は、嫁さんの家に
3日間住み込んで奉公しなければならないというので。

奉公っつっても、寝泊りして、親戚にあいさつ回り
する程度らしいけどね。

それが終わったらまたシェムリアップに行くつもり。
でも住む家を見つけたら、荷物取りにまたこなきゃならない。

いつになったら落ち着けるのか。

結婚式一日目終了

日記なんか書いてる余裕も体力もないけど、記念に残しておく。

カンボジアでの自分の結婚式、第一日目。
朝4時から準備はじめて、まあ、一日中なんだかんだ儀式やって、
暑い中、さんざん汗かいて、やっと21時頃に終わって宿に戻ってきた。

でも、明日の披露宴で客に渡すギフトの包装が済んでなくて、
ついさっき1時にやっとこ終了。

3時間だけ寝たら、また4時起きて第二日目が始まる。

ほんと、手伝ってもらってる友人たちには感謝します。

もうすぐ結婚式だけど

親とか親戚とか友人とかプノンペンで迎えて、ほんのちょっとの
プノンペン観光の後、車で5時間バッタンバンまで来て、
前乗りの友人たちと合流し、彼女の実家でご挨拶などし、
食事なんか摂って、準備もいろいろし、
これからちょっとばかしの仮眠程度をとったら、
さあいよいよ結婚式がはじまってしまう。

twitterに「結婚式なう」とか携帯から書きたい気もするけど、
なんかそれだけは人としてやっちゃいけないような気がするので、やめておく。

式次第は何も把握してないけど、
まあなんとかなるのかな。

伝説のラストアイテムをゲット

インタビューの話書くって言って忘れてた。そのうち。

結婚式まであと2日ってほんとかよ。

さて、いまプノンペン。
今週末の結婚式のために、親と親戚と友人が日本から来るので、
そしてなぜかみんなプノンペン便のため、出迎えに。

そしてタイミング良く、例のおっさんから「すべて完了」のコールが。
正確に言うと、月曜日におっさんに催促&お伺いの電話をしてみたのだが、
中華正月だかなんだか水曜日にならないとわからんと。
そして水曜日に電話したらたぶん明日だとか言われて、
やっと今朝、呼び出しの連絡を受けた。

内務省では、まだ掲示板には名前が挙がってなかったが、
控えの紙を出すと、しばし待たされて、書類を受け取れた。
いままで揃えたすべての書類が返却され、
結婚許可証がバッタンバン州宛と郡宛と地区役場宛に3通。

書類の中には彼女の出生証明の原本とかいろいろ重要書類が満載だけど、
急ぎなのでキャピトル便で送った。
夕方にはバッタンバンに着く。

それを持って彼女は明日、各所を回って結婚の最終手続きをする。

いやーぎりぎり間に合った。
正確には手続き後公示期間が10日くらい必要らしく、間に合ってないんだけど、
おっさんが大丈夫だって言ってたから大丈夫なんだろう。

長かったなーここまで。
これで心置きなく結婚式を挙げることができる。

どうしてカンボジアの結婚手続きが煩雑なのか

ちょっと知ってる話だけメモっておく。
カンボジア人と外国人との結婚が、これほどまでに面倒なのはどうしてなのか。

記憶に新しい、2008年4月、
突然カンボジア政府が、カンボジア人と外国人との結婚申請について、
一律取り扱い停止を発表した。
それまでは、役場でちょっと賄賂を払う必要があったものの、
手続きはとても簡単に済んでいたらしい。
実際、その時からは、ほんとうに結婚手続きができなくなったようだ。

理由は、韓国人との結婚の急激な増加、3年で24倍増の1759件とか。
その中身は、偽装結婚や人身売買の問題。
見合い業者を通しての結婚後、韓国や台湾に渡ったカンボジア女性は、
よくて奴隷扱い、売春を強要されることも少なくないとか。

カンボジア政府の迅速な判断と強攻策は、正しいことだったとは思うが、
とばっちりくらったのはこっち。
実は私たちは、2008年頃に結婚の話を進めようと思っていたのだった。

そして結婚禁止令が解かれたのが、次の年2009年の1月。
カンボジア政府は、煩雑な結婚許可制度を導入して、
人身売買のための偽装結婚を排除しようとしたのが、
現在のシステムだ。

内務省には個人情報たれ流しのリストが貼ってあるので、ちょっとそれを。
この1月に結婚申請の第一ハードルを通過した65組中、
アメリカ 17人
フランス 16人
韓国 13人
カナダ 6人
オーストラリア 6人
ニュージーランド 2人
インドネシア 2人
ベルギー 1人
英国 1人
日本 1人
待ち時間に数えた結果がこれ。

これだけ見ると、韓国人だけ突出してるわけでもないように見えるが、
まあアメリカ人はどこでも多いとして、
フランスは昔植民地支配してた過去があるし、
やっぱり韓国人がちょっと多いような気もする。

そして、アメリカ人やフランス人の中には、
外国人女性とカンボジア人男性のカップルも多い中、
韓国人は全員男性。
日本人はサンプル数が少ないのでなんとも言えないが、
別のインタビュー待ちリストの中に唯一あった私以外の日本人の名前は、
女性の名前だった。

もう1つのリストがあった。
こちらは不許可リスト。申請はしたけど、なんらかの問題、不審点があって、
処理に待ったがかけられているもの。
アメリカ 30人
フランス 29人 に対して、
韓国 47人
たしかに多かった。
なるほど申請が通らないのが多いのか。
カンボジア政府の考えた制度は、ある程度正しく機能しているみたいだ。

このデータに対して、韓国人をどうだというつもりはない。
カンボジアでこういうことになってるよ、
っていうだけ。

次の日記で、もうひとつ面白かった、インタビューの時の話を書こう。

おっさん始動

カンボジアでの結婚手続き、いよいよラストダンジョン内務省攻略へ。
書類は揃った、下調べも充分、宿屋で十分な休息もとった。
なにより、内務省おっさんが仲間に加わっている。

とりあえず、おっさんから連絡があるまでは待機。
内務省に書類が送られる予定のその日の夕方、
おっさんから「まだリストには掲示されていない、もう少し待て」
との連絡が来た。
このリストの確認ですら本来は自分たちで内務省まで毎日確認に
行かなければならないところだった。おっさんのおかげでだいぶ楽。

次の日早朝、おっさんからスクランブル。よしきた。
内務省の門の前でおっさんと待ち合わせ。
おっさんは15分ほど送れて登場したが、一緒に最初の部署まで確認に行くと、
あった、うちらの名前。
65名分のリストの最後のほうに、燦然と輝くたったひとつのチャポンのクメール文字。

そこからは懐かしのジェットコースタードラマのように、次々と話は進んでいく。
彼女だけ呼び出され書類の再確認。
そこでまた新しい複雑そうな申請フォームを渡されたが、おっさんの口利きと賄賂によって、
役人のにいちゃんが全部かわりに書いてくれた。
申請の確認証みたいのもらって、1つ目の部屋終了。

2つ目の部屋におっさんのバイクで構内移動して、
確認証にさらに書き込みとかサインとかもらい、
ちょっと離れた会計窓口で$200払い込み、はんこをもらい、
さっきの部屋に戻って確認証のコピーを受け取って、2つ目終了。
おっさんの誘導もあってすんなり進む。

次はちょっと離れた内務省の人身売買対策部へ。
ここでそれぞれインタビューをうける。
本来ならインタビューの日時も後日リスト掲示で指定されるようだが、
おっさんが予約してくれたようで、待ちに割り込んですぐにインタビュー開始、
一時間ほどで終了。

終わった。

信じられないが一度の出陣で、最後までたどり着いてしまった。
この後、すべての書類は2つ目の部屋に集められ、
1~2週間ほど待つと、完了リストに名前が掲示されるという。

そう、これから何日かかるのかと心配していた内務省攻略が、
おっさんパワーによって、もののみごとに一日で全て済んでしまった。
最後のリストも、おっさんが監視して連絡をくれるという。
ありがとうおっさん。

こうしてラストダンジョンは、チートのような技を使ってクリアできた。

あとはエンディングへ向けて、お使いイベントがあるだけだ。

最後のアイテムを入手するまで、しばらくは休んで傷を癒そう。

内務省職員が仲間に加わった!

カンボジアでの結婚手続きの内務省攻略。

外務省で疲れ果ててた所に、内務省での煩雑な手続きを聞いて、もうげんなり。
はじめは、1週間もあれば全部終わるだろうと踏んで2人でプノンペンにきたけど、
もうすでに2週間以上経過。
できれば早いとこ彼女は実家に戻って、衣装合わせとか、
いろいろ式の準備をしなければならないので、
これ以上いつまでもプノンペンに留まっているわけにもいかない。

そんな折、外務省へ書類受け取りに行った帰り足で、
内務省で働いている、というおっさんに声をかけられる。
「どうだ、50ドルで手伝ってやるぞ」と。

ラッキーだ!神様が出会わせてくれたんだ!と舞い上がる彼女を、
いやいや、これフィリピン人の妹が日本にいてトランプやるのと一緒だから、
と諭すも、ほんとに50ドルですんなりいくのなら、もう頼むしかないかなー、
と疲れきった頭がいけない思考に。
こういうパターンで旅行者はだまされる。

とりあえず、連絡先を聞いておいたおっさんをカフェに呼び出して、
ほんとのところどうなのか聞いてみる。

おっさんは公務員だから、月給50ドルなんだと。
少しでも小遣いを稼がないと家族を養えないんだと。
内務省での結婚手続きは詳しく知ってるから、任せてくれたら、
おそらく一日ですべて終わらせてやる、と。

話してみたところ、どうもおっさんは、純粋に金を稼ぎたいだけらしい。
いろいろ質問してもちゃんと返って来るし、
前に内務省偵察した時の内容と完全に一致するし、
これ頼んでみてもいいかもね、という結論に。

これで騙されたとしても身包みはがされるわけじゃないし、
50ドルくらい賭けてみてもいいかな、と。
少なくとも何かしら状況は進むだろうし、
おっさんは後払いでいいと言ってるし。

さあ、 ぼろいドリームIIに乗った内務省職員というおっさんを味方にして、
吉と出るか凶と出るか。

ちなみに、フィリピン人にトランプ誘われたら、100%詐欺だから。

ラストダンジョン内務省

カンボジアでの結婚手続き、残すは最後の砦、
Ministry of Interior
カンボジア内務省。

外務省でやっとのこと中ボスを倒して、約束の期日のさらに1日半後に、
「内務省へのレター」を手に入れた。
これが無いと内務省で相手にしてくれないし、
そもそも我々の書類は、外務省から自動的に内務省に送られるので、
とにかく外務省の仕事を待つしかなかった。

待っている間に、質問を名目に、内務省に偵察に行ってみた。
内務省の場所は、日本大使館の斜め向かい。
外務省だけで6往復くらいしたわけだから、これからここまで
何度もこなきゃならないのかと思うと、気が遠くなる。

日本大使館からもらった資料には、簡単に、
「内務省に書類が送られ5営業日で完了」みたいに書いてあったが、
内務省内あちこち聞き回って丸一日かけて調査した結果、

外務省から送られてきた書類を再チェックする部署があって、
チェック済みのカップルは掲示板のリストに名前とか掲示されるので、
その掲示板を監視して名前を見つけることができたら、
また別な用紙をもらって複雑な書き込みをして提出すると、
受領書がもらえるので、それを持って別の棟の結婚担当部署へ行って、
またなんか書類用意してもらって、それ持って会計窓口行って、
200ドル払って判子をもらって、結婚担当部署に戻って確認してもらったら、
今後は近くの別な敷地にある新しい内務省に行って、
そこの人身売買対策部で、警察から2人別々に面接を受けて、
面接をパスすると調書を書いてもらってそれに親指の指紋を押して、
そこから2~3週間待つと、結婚担当部署の外の掲示板に、
名前が掲載されるので、そしたら見事、
「結婚許可証」
がもらえる。
ということだった。

もうやだ、この国。

外務省はナーガの裏

いよいよカンボジアでの結婚手続きも大詰めへ。

すべての書類を持って外務省へ。クロスオン カー ボールテ。
外務省には以前も行った事があるから場所は覚えてる。
結婚申請書をもらいに行った時だ。もう半年ほど前になる。
ナーガの裏手、新しい国会議事堂の隣だ。
ちなみに目の前の道路の名前は、フンセン通り。

もうここからは彼女を前衛にすえて全部まかせる。
外国人が交渉するよりカンボジア人同士のほうがスムーズなはず。

まずは、入り口すぐそばの、管理室みたいなところへ通される。
申込書をもらいにきた時はこんなところには来なかったはず。
いきなり、ずるがしこそうな役人に、
「400ドルだけど」
と攻撃をくらう。
しばし応戦。日本大使館は払うなと言っている、などと嘘をついてみる。

10分くらいであっさり攻略、だったら違う部署へ行け、と。
ほらね、ここはただの金せびりだ。
ほんとうの結婚手続き窓口へ誘導してもらう。
申込書をもらった向かい側の部屋。

その部屋にいたのは、いかにも偉そうな、
ジャーナリスト大谷昭宏にそっくりのボス。
物腰はやわらかいが、しかしここでも、
「400ドルだね」
とさっきと変わらない攻撃。
書類もまったく問題ないし、3日待つだけで処理も終わる。
でも400ドル。
金額の根拠を聞いてみても、あちこちの部署に配分するから、
それでも自分は10ドルくらいしか残らないとかなんとか。

新しい結婚制度できちんと金が必要ないように決まったはずですよね、
という応戦にも、
規則はただの規則、現実は現実、ここはカンボジアだ、と。
金を払わないなら払わないでもいいけど、
誰も手続きを進めないだろうねー、と。

体勢を整えるため一時退却などしながら、
実際の戦いは、3日に渡ったわけだが、
結局、彼女の父親の「いいからもう払いなさい」と一言で戦闘終了。
値下げ交渉は一切応じてもらえなかった。
まあ、かつては1000ドルとも1500ドルとも言われてたわけだし、
いまでもエージェントを通したら1500ドルはかかるわけだから、
それにくらべたら。

金は私がすでに渡した結納金のなかから支払われることに。
まあ、私自身には別にダメージはないわけだ。
彼女家側では金がかかることははじめから想定済みだし。

このあと内務省に行くわけだが、
そこでも金が必要なことはわかっている。

さあ、最終的にいくらで結婚できるのか。

ラブレターfrom大使館

カンボジアでの結婚に必要な書類、私、外国人が必要なものは、
ひとつを残してすべて揃った。

最後のひとつは、大使館からのレター。

これを入手するには、まず他の書類をすべて揃えないともらえない。
しかし、揃えてしまって大使館を訪れれば、その場でもらえるアイテムだ。

私一人で十分なはずだが、なんとなく2人で大使館の領事部へ。
ちょっと待たされたけど、別室で書類を確認してもらって、
もうほんとにすぐにその場で、かっこいい質のいい紙のレターを頂けた。

ついでに、ラスボスの攻略法とか聞いてみる。
やっぱり制度の整った今でも、そこそこの金額を要求されるようだ。
対応してくれた領事の方は、カンボジアだから仕方ないんですよねと前置きして、
良くない事なのできっぱり断ってもらって、
困ったらどうぞ大使館に電話して下さい、いくらでも強気に対応します、
と言ってくれた。
カンボジアだからしょうがないんですけど、と何度もいいつつ。

まあ、翻訳すると、払ってください、ってことか。
日本大使館としては正しい回答だろうな。

さて、残すラストダンジョンの予習を。
最後の対戦は3つのパートに大きく分かれている。
外国人の書類をチェックする外務省、
それを受けて結婚許可証を発行する内務省、
許可証を元に婚姻を受理し結婚証明書を発行するバッタンバン役場。
それぞれ数日から数週間を要するようだ。

式まであと1ヶ月。

中ボス カルメッテ

まだ揃ってない結婚のための必要書類のひとつ、
健康診断の証明書
をとるためにカルメッテ病院にいくことにした。

保健省にいけばチート技で検査なしの証明書が買えることがわかっているが、
やっぱり多少手間と金がかかってもちゃんと検査しようということに。

外国人の多いSOS病院にも以前問い合わせたが、
必要ない検査までてんこもりでおすすめされたので、
大使館に質問した時名前の挙がったカルメッテに決定。

とりあえずおきまりのたらいまわしであちこち右往左往。
たどりついた担当の部屋では、ちゃんと外国人の結婚の必要書類を認識していて、
案外簡単にそしてシステマチックに解決。

数種類の血液検査とレントゲンで、
外国人$74、カンボジア人$35。
まあ、そんなもんかね。

その場で申し込んで、会計で金払って、採血室にいって2本血を採って、
レントゲン室で胸を撮影して、担当部屋に戻ってその日は終了。

2日後、また採血室行って結果をもらって、レントゲン室で結果をもらって、
担当部屋に持っていって証明書をつくってもらう。

が、ここにきてなぜかの$5要求。
いま忙しいから特急料金だってよ。ほらきたカンボジア。

ちなみに初日にも、ちょっと金くれたら結果に問題あってもいい結果で書いてやるとか、
なんだかわからないけど部屋のみんなにクイティウ買ってきてくれとか、
やっぱりカンボジアなことを言われてた。

まあ、なんたらに従えで、$5くらいなら払うことに。

ということで、健康診断証明書は無事2人分ゲット。

次は日本大使館に行ってレターを取得。
これは戦闘イベントじゃなくて、アイテム揃ってればすんなりいけるっぽい。

婚約式

今回カンボジアに戻ったら、すぐに婚約式をやるよ、って聞いてはいたものの、
私も彼女も、ちょっとした食事会程度のものを家でやるのかと思っていたので、
結構盛大でびっくり。

カンボジア人同士の場合でも、いまどきこんなにしっかり婚約式をやるのは
少ないよ、とのこと。

朝7時に彼女の実家に行って、準備して、
9時から屋内で式開始、10時半ころ終了、
親戚のみなさんは庭で食事&飲み会開始、
私たち2人はそのまま写真撮影、お色直しして1時間ほど。
その後パーティに混ざって、
酔っ払ったおじさん連中が全員撤収したのが午後1時。

新郎側は私一人、新婦側は父方親戚を中心に30人ほど集合。
司会進行のプロのおっさん、カメラマン、
メイク屋のお姉ちゃん、ヘア担当兄ちゃん、スタイリストおかまさん、
パーティ会場設営5人ほど、料理のおばちゃん3人。

式はまず、本人たち抜きでスタート。
司会進行が祝詞みたいな言葉とともに、彼女の父親と問答。
彼女の両親と、新郎の両親にみたてた親戚のご夫婦で、結納の品の交換。
その後、私が入場、双方の両親に3度の合掌して挨拶。
新婦入場して、同じく挨拶。
2人で並んで、祝詞、指輪交換、枕の上でみなさんに赤い糸を結んでもらう。
こんな感じで1時間ちょっと。

座った状態で枕に腕をおいて体勢をキープするのは意外ときつい。
膝と腰がやられる。
結婚式はこれの何倍も儀式があるようで、ちょっと憂鬱。

これ全部でいくらかかってるんだろうなー、金は彼女の親持ちだからわからん。

ということでいま、私の右手首には赤い糸が10本ほど結ばれている。
これいつまでつけてなきゃならないんだっけ。

バッタンバンでホテル探し

今日、婚約式だった。
いま手元に写真がなくてアップできないので、
後で写真を交えて詳しい式の内容を書こう。

来月、招待客を迎えなくてはならないので、
いいホテルを探すために、いつものロイヤルと違うところに泊まってみようかと。
ロイヤルは悪くないんだけど、なんか雰囲気がちょっとぱっとしない。
テオは古すぎていかんし。

川の反対側のスプリングパークにお試し宿泊。
コールドナイトの近く。
エアコンで$11、ファンなら$6。ロイヤルとほぼ同じ金額で、
建物は新しくて綺麗。ちゃんとホテルって感じだし。
かなりおすすめだ、これなら知人も泊められる。

そしてなによりWiFiが飛んでる。もちろんネット無料。

中央のプサーナッからちょっと離れるのが難点かなとも思ったが、
この周辺も意外と最近栄えてるようだ。
すぐ目の前にいくつかレストランも並んでるし、問題ない。

明日からプノンペン。

カンボジア人との結婚手続き手順

まず、プノンペンの外務省に行って、
外国人のための婚姻申請書をもらってくるところからはじまる。
外務省はフンセン通りにある。川近くのナーガのもっと南のほう。
あの辺の新開発地区に、フンセン通りって名前がつけられてるんだけど、
誰も知らなくてかなり迷った。

婚姻申請書と一緒に提出の必要な書類を用意する。

●婚姻用件具備証明書
その人が独身なのかどうか役所で証明書を出してくれる。
外国人との結婚の際にたいてい必要。
でも、カンボジアの場合は、日本の役場で出してもらう日本語の証明書
では不十分で、在プノンペン日本大使館で英文のものを作ることに。
大使館に戸籍抄本を提出する必要あり、それは日本で準備。

●犯罪経歴証明書
警察で出してくれる、その人の過去の犯罪歴の証明書。
ビザとか取るのに必要な国はけっこうあるみたい。留学ビザとか。
カンボジアの場合はビザ申請に必要とはされないので、
警察で門前払いされた。カンボジアに対しては発行できませんよ、と。
仕方ないので、東京の外務省に問い合わせて、
カンボジアでの結婚に必要であることを説明して証拠の書類送って、
警察庁に働きかけてもらって、やっと福島県警で出してもらえることに。
頼んでから2ヶ月以上かかった。

●在職証明と給与証明
普通なら職場に問い合わせれば出してもらえるんだろうけど、
自分が経営者なので、適当に書いて会社のはんこ押して終わり。

●健康診断証明書
要は必要なのはHIVキャリアじゃないかの証明書。
前に日記で書いたとおり、金を払えば検査なしで作ってもらえる。
でもさすがにそれじゃ良心があれなので、
ちゃんとカルメッテにでも行って検査してもらう予定。
ちなみに日本の保健所でも一応ちゃんと検査してきた。

●パスポートのコピーと有効なビザのコピー

以上、5点、まず外国人側が用意する。
カンボジア人側は、
○健康診断証明書
○出生証明書
○住民登録証
とか、そのくらい。

この辺まで準備が終わってる。

すべての書類を揃えて、まずはプノンペンの日本大使館へ。
各書類に大使館の証明のはんこを押してもらって、
●大使館からのレター
を手に入れる。

それらを持って、再びカンボジアの外務省へ。
書類を受け付けてもらって、約1週間後、書類は内務省へ、そこで審査。
さらに1週間後、バッタンバンの役場へ。
カンボジアローカルの婚姻届を出して、役場で10日間公示。

ここまできてやっとカンボジア側の婚姻手続き完了。
結婚証明書を出してもらって、今度は日本で婚姻手続き。
日本側でも証明書もらって、さらに納税証明書とかいろいろ用意して、
またカンボジアに持っていって大使館で手続きして、
おそらく彼女が日本にくるための配偶者ビザが手に入る。

もうやだ。

やばい、これはやばいカンボジアの結婚式

ゆず湯に入るのもかぼちゃ食べるのも忘れた。
風邪をひいてしまう。

じゃあ、かぼちゃの代わりにカンボジア人くっとけば
って言わせねーよ。

ほんとにやばいのは、ドル円。
先週あたりまで88円あたりふらふらしてたのに、いきなりもう
92円にも迫る勢い、ってどういうこと。

結婚式の費用、もちろんドルで用意しなきゃならないんだけど、
まだ大丈夫かと両替するの忘れてたら、
いやーあっという間にトータル予算が数万円分もあがってる。
再来週帰る頃にはもうちょっと戻していてください。

ちなみに、お金さえ用意して渡してしまえば、
基本的に新婦のご両親がすべていろいろと準備してくれるので、
とても楽。

カンボジアの結婚では、基本、新婦の家が一番強い。
すべての決定権は、新婦のお父さん。

とりあえず、披露宴会場のレストラン、食事関連、
楽団、ヘアメイク、カメラマン、大量の果物、
などは予約が済んでいるようだ。

式自体は彼女の自宅でやるので、
いまどきの日本のように式場に申し込めば一式コーディネート
してもらえるわけではなく、
自分たちでひとつづつ揃えなきゃならないから大変みたい。

でも私も準備にかかわらなきゃならないのももちろんいくつか。
正月明けカンボジアに戻ったら、まずは衣装合わせ。
どんな派手な衣装着させられることになるのか楽しみだ。

結婚しますが

カンボジアの人と。
いや、まじで。

式は来年2月20日と21日。
バッタンバンで。
だいたい固まってきたから発表してみた。

招待とかこっちからしちゃうと、カンボジアまで来てもらわなきゃだし、
旅費とか負担かけちゃうし、気を使ってもらっちゃうといけないので、
この日記をもって招待状とします。
これを見てしまった人は全員招待されています。
出欠の返事をコメントかメッセージでください。

いや、ほんとに新郎側の出席者少なくて困ってるんで、
一人でも多く参加してほしいんですが。
参加っつーか、カンボジアの結婚式を見学するくらいののりで。

私と面識ない人でも、アンコールワット観光のついでにふらっとで、
かまわんです。
お知り合いでカンボジアに行く予定の方がいたら紹介してください。
なかなか見れないっすよカンボジアの結婚式。
旅のオプションツアーとしていかがですか。

スタイルは完全クメール式を予定。
いやーいま準備に追われて大変なわけ。