19年間行方不明の女性、野生化して発見

カンボジア北東部のラタナキリ州で、言葉をほとんど話せない裸の女性が保護された。9歳の時に行方不明になった女性とみられ、19年もの間、密林で生活していたらしい。名乗り出た家族と一緒に暮らし始めたが、新しい生活に困惑した様子だという。

先週末にそれなりに騒ぎになったニュース。テレビでも盛んにやってた。

カンボジアが船籍以外でここまで日本のニュースにのるなんてあまり無いし、大好きなラタナキリの話なんで、いっちょ詳しい記事でも書こうと思っていろいろ調べてたんだけど、途中であほくさくなってやめた。

カンボジアデイリーじゃねーか元記事。東スポだ。
なんかの宣伝だろ、なんて意見もあったけど、そんな高尚なものですらないレベル。そういや数年前にもカンボジアで犬が猫を産んだとかいうニュースがあったな。
なんでこんなネタが外電にのってんだろ。

しかも、わからないならわからないままのほうがミステリーが広がるのに、くだらない余計な情報までいろいろ出てる。例えば、
・おなかがすいたと的確なジェスチャーをする
・カラオケVCDコレクションに興奮
どこが野生だよ。
おまけに、発見された時点でショートカットだったらしいじゃん。

百歩譲ってほんとの話だとしよう。うん、ほんとの話だ。そういう女性は実際に見つかったんだ。
でも決定打がこちら。

「しかし、話している言葉は意味が不明で、コミュニケーションが取れない」

え?しゃべれないんじゃなかったの?
念のため英語のソースも確認。

No clues have emerged from the woman herself, who can speak but shows no signs of being able to talk in any intelligible language.

しゃべってるじゃん。
しゃべってるけどこちら側に理解できる人間がいないってことだろ。
おそらく別な少数民族グループだよ。

この舞台になってる村は、ラタナキリ東部のオーヤーダヴ地方。ほとんどベトナムといってもいい場所で、ジャライ族が多く住む地域だと思うんだけど、少し西に行くとクルン族・タンプオン族・ラオス系の村が混在していて、南部にはプノン族、山を越えるとベトナム系の少数民族が割拠してる場所だ。

ちゃんとした通訳つれてこいよ。

まあ無理矢理なにかをこじつけようとするとだね、カンボジアは戦後15年くらいでしょ。日本で言うと昭和30年代から40年代あたりよね。だいたいの町の雰囲気とか生活の様子もそんな感じで共通点あるよね。復興が進んで高度経済成長に乗りつつある時期というか。
そういう時期にこういう話が出てくるってのは、社会学的にいろいろあるんじゃないかなー。時代の複雑化とか不透明さとか不安とか。晴れやかなオリンピックから複雑でグロテスクな大阪万博へ向かってる時期だったり、ウルトラQとか怪奇大作戦とかだったり。カンボジアもいまそんな時代のような気がする。
横井庄一さんは40年代後半だっけ?

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ダメ押しラタナキリ

「ラタナキリ」というのがサンスクリットで「宝の山」を意味するとおり、周辺では宝石が採れるようで、見学のできる採掘所があったり、バンルンの街中にも宝石商がたくさん並んでいたりしました。
仲良くなったドイツ人も、商売のために宝石を買いにわざわざカンボジアまで探しにやってきたらしく、毎日のように石を買い歩いていました。しかし自分にはそういうのを見極める能力がまったくないのでノータッチ。
ドイツ人情報だと、ここバンルンでも市場周辺の宝石店には平気で偽者が並んでいるらしく、街中歩き回って見つけ出したこの裸のおっさんの店が値段・質ともに合格だそうです。

186385007_171ゴムもラタナキリの各所で見かけました。木から採取した樹液を土を掘った穴の中に流し込み、固まったところでポコッと引き抜いたものを、定期的に業者さんが買い取っていくそうです。
昔からの産品ではなく、少数民族の人たちの収入手段として最近政府が生産を斡旋しはじめたものだという話。

186385007_88この写真は砂利をならしているところではありません。
ラタナキリの特産品のもう一つ、カシューナッツでした。どでかい森が丸ごとカシューの木だったりして、とにかくざくざくカシューナッツが採れるらしく、てきとーに採ってきたものを、てきとーに道路で乾燥させながら、かなり安い値段でてきとーに売っている様子。

さて、次はここからモンドルキリに行きたいのですが、ジャングルを突っ切ってまっすぐ南に下がるルートは道も険しくとってもハードすぎるらしいので、おとなしく一度平野部のほうへ戻ることにします。クラチェに行きます。
てきとにー当日の朝に乗り合いタクシーを探そうかと思っていましたが、夕飯を食べに行った屋台の女の子がクラチェの出身とかで話が盛り上がり、知り合いのドライバーを紹介してもらいました。料金もリサーチしてた一般的外国人料金よりちょっと安く。

その女の子(高校生)に「私のお父さんになって」と言われたのですが、どういう深い意味なのかはわかりませんでした。

バンルン3つの事件

ラタナキリ。ある日の晩すっかり暗くなってから、夕飯を食べにレストラン街の中国風食堂に行ったところ、店の前の道路に巨大な影が。
ユニックが倒れてました。
向い側のワンブロックに大きな建物を建設中の様子だったので、作業中に倒れたのでしょう。
ごはんを食べながら、車を囲んでいる当事者らしき作業員たちの話を聞いていると、どうにもできないので明日になってから助けを呼ぶしかないんじゃないか、ってことでまとまったようです。
次の日、バンルンの街はこの話題でもちきりでした。
朝、ホテルの女の子からは「車が倒れてるの、大変よ」と、朝食を食べに屋台に行っても「車が倒れるなんて日本でもあるの?」と、ほんのちょっとの距離をバイタクに乗ったら「この街で事件が起きてるんだ、見に行ったほうがいいぞ」と。
まあ僕もわざわざ写真を撮りに行ってきたんですけど。
残念ながらこの日、少数民族の村めぐりに出かけてしまったので撤収の様子を見ることはできませんでした。

185311162_146今回のカンボジア訪問は一年の中でも暑い時期に含まれる5月。山間部のラタナキリといえど昼間の暑さは相当なもんです。
そんな晴れた日中のうだるような暑さの中、市場の建物の裏手に広がる野天市場をふらついていた時に、前方で女の人の叫び声が聞こえました。一気に人が集まって緊張が高まります。間をおかず現場のほうから走り出てきたおばさんが、僕の立っていた近くの八百屋から包丁をつかみ取って現場へ飛ぶように戻っていきました。
急いでそのおばさんの後を追ってきてみるとそこには、数人に取り押さえられて泣きじゃくってパニックになっている女性と、もうひとつの人だかりの中心でぐったりと動かなくなって地面に横たわっている赤ちゃんが。
一瞬かなり驚きましたが、よく見ているとどうやらそのパニックの女性は母親のよう、周りの人間が必死に「大丈夫だから落ち着け」となだめています。赤ちゃんのほうにはさっきの包丁をもったおばさんが、ライムの皮をむいてぐったりした赤ちゃんの顔や胸元にライムの果汁をこすり付けています。
おそらくこの暑さで突然抱いていた赤ちゃんが倒れてしまったのと思われます。栄養状態もよくないのでしょう、母親の格好からするに山から買い物に降りてきた少数民族の人のようです。
かなりの緊張した空気でしたが、周りの人の落ち着いた対応を見るに、赤ちゃんの命は無事なようです。カンボジアの知恵の応急処置をして、少し動くようになった赤ちゃんを、また別のおばさんが抱きかかえてバイタクに乗ってどこかに運んでいきました。
母親はそれでもパニックが収まらず、茶色い衣服を乱しながら何事か言いながら泣き崩れています。それをまわりの綺麗な格好の市場のクメールのおばさん達が「大丈夫赤ちゃんは生きてるから!」「母親のあなたがしっかりしなさい!」と叱咤しています。
赤ちゃんが無事病院へ運び出されてから、一時期は百人以上いた様子の人だかりも徐々にみんなが日常に戻って行ったので、外国人の僕もこれ以上野次馬していてはいけないような気がして、そっと現場を離れました。
ふと、あの場で日本人である僕が何かをすべきだったのか、何ができたのか、いまでも考えます。

185311162_179同じ日の午後、のどが渇いたので市場前の屋台のようなところでボトル入りの水を買ってお釣りを受け取った瞬間、突然後ろから強い力でTシャツの袖をひっぱられました。
何事かと振り向くとそこには、手にナタを持ち頭にクロマーを巻いた薄汚い格好の老女が。
前歯の欠けた笑顔で、ナタを構えながら手のひらを差し出しています。かなりアクティブな物乞いでした。
特に危険な気配は見られず、周りの人間もあきれたような薄ら笑いでみています。
仕方が無いのでそのお釣りの500リエルを渡しました。
満面のいやらしい笑みを見せながら去っていく老女。
今の何?と屋台のおばさんに聞くと「彼女は頭が悪いのよ、街のみんなからお金や食べ物をもらって生きてるの、ごめんなさいね」と。
その時は、変な物乞いもいるもんだなーとピンと来ませんでしたが、それから数時間たった夕方、別の場所でまたその老女を見かけました。
とぼとぼと歩いている老女に向かって、近くで遊んでいた子供達がなにか罵声のようなもの浴びせると、彼女は振り向いてナタを構えて脅かすように1歩ふみだしました。「キャー」という黄色い声を上げながらダッシュで逃げていく子供達。
その瞬間忘れていた子供のころの風景を思い出しました。
現代の嫌なものを隠して社会保障を国に任せている日本ではなかなか出会うことは無いかもしれませんでしたが、僕が子供のころには同じような風景が日本にもありました。
ホームレスとはまた違う、子供から恐れられ子供のしつけに利用されながらも人々から愛されて地域の社会保障の中で生きている乞食という人たち。僕のいたところではホイドと呼ばれ、学校帰りに出会ったりすると本気で怖がっていましたが、この老女がまさしくホイドです。
プノンペンやシェムリアップなどにいる手や足を失った物乞いやストリートチルドレンともまたちょっと違う、懐かしい地域社会の姿に出会いました。

ほんの数日でしたが盛りだくさんのラタナキリ。
次はさらなる秘境モンドルキリに行くためにクラチェ方面へ戻ります。

ラタナキリ動物ランド

すべてバンルンの中心のマーケットのど真ん前で撮影。

街ぐるみでヤギを飼ってるところはたまにありますね。バッタンバンでもよくヤギを見かけました。
ここバンルンのヤギは、野良犬並みに街を巡回しているようで、いろんなところで何度も出会いました。もしかするとヤギに見せかけたベトナム公安かもしれません。

185057928_152地方ではいまでも普通に動力源として馬が使われているようで、荷物を運ぶ馬車は各地で見られます。
しかしこの日見かけたのは、単独で自由に大通りを歩く馬。まわりの人も全く気にしてないようなので、普通なんですね。

185057928_112市場前大通りをはさんでタクシーターミナルの反対側に、ちょっとしたレストラン街があるのですが、ある日ここのお気に入りの中国風食堂でご飯をたべていたら、なにやら都市部にはいてはいけないような鳥の姿が。店の目の前でごみをあさってました。
次の日も同じところに出現していたので、彼らの日課なのでしょう。メヒコか。

ラタナキリその他

ヤクロム湖は、バンルンの街からバイクで10分のところにあるすごい綺麗な湖です。
ラタナキリに到着した日、ストゥントレンから一緒に車に乗ってきたドイツ人に誘われて一緒にいってきました。若者が水遊びをしたりするデートスポットです。
小さな資料館や、少数民族の建物のレプリカなどもあっておすすめ。

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バンルンより少し東に行くと、小さな山があって、その上のお寺のさらに上にかわいらしい寝釈迦像があります。眺めも最高。

山の帰り道にバンルン空港が。空港?だだっ広い土の広場しかありませんが。
184485602_8いやーこんなところに飛行機では来たくない。でも飛んでるってことは飛行機で来る人もいるんだろうな。恐ろしや。
子供たちが滑走路で凧揚げをしていました。

ちなみにラタナキリといえば「滝」らしいのですが、地元のドライバーがあまりに滝しか薦めないのであえて避けました。
いや、裏側がのぞける滝はおすすめです。

クルン族の村3つ

今日はオーチョムからタベン方面へ。もちろんドライバーは昨日と同じ彼。昨日はタンプオン族の村を回りましたが、こちらのルートではクルン族の村を観ることができるようです。

今日行くのはほんとに山奥で、途中で昼食をとることのできる食堂が見つけられないというので、出発前に市場で豚肉のせごはんを2つテイクアウトしました。水もしっかり買ってゴー。

途中まで前日のベンサイと同じ道を進んで、オーチョムという地区のあたりで右にそれます。

まずは地球の歩き方にも載っているノンラ村へ。
この村は完璧に観光地です。きちっと柵で囲われて、ゲームにでも出てきそうな村らしい村で、正面ど真ん中にクルン族の村の特徴でもある背の高い小屋が建っています。

タンプオンの村にも結婚前の女性用の小さな家がありましたが、クルンの村には女性用の背の低い家と、男性用の背の高い家がセットで建っています。女性用はタンプオンのものと同じような意味合いで結婚相手を探すために寝泊りし、隣の特徴的なノッポの家には勇気を試すために成人する男性が住むようです。

ちなみにこの村にある小屋は観光用のダミーだということが村人への聞き込みによって判明しました。
 ほかにも、NGOのポスターが貼ってあったり、村の井戸には「フンセン首相が作ってくれましたー」みたいなことがでかでかと書いてあったり、村の隣に立派な学校があったり、援助で幸せな村なのかよってたかってレイプされてる悲劇の村なのか微妙なところです。

次の村へバイクを進めます。途中、ストーンフィールドと呼ばれるミステリーゾーンを通過。詳細は秘密です。

次のコーラー村はさっきの村より自然で大きな村でした。大きな集会所や使用感のある背の高い家もちゃんとあります。しかし村人が怖い。誰に話しかけても返事してくれないし、写真を撮っていいかとカメラを構えようとしたらおばあさんに怒鳴られました。
 逃げるように次へ。

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3番目の村は、かなり山奥に入ったところのこじんまりとした村。クレ村。
おそるおそる入っていくと、村のあちこちで女性たちが布織りをしているのが見えます。やったね、半ばあきらめていたところでやっと遭遇できました。
撮影の確認をすると「撮るならモデル料払ってよー」なんてとってもフレンドリー。
織られた布を買っていこうとしたら「いまあんまりいい在庫がないから、いま織ってるのを30分で完成させるから、それまで村の写真撮って待ってなさい」と。
いやーいい村だ。
織物をしているクルン族女性の中に、一人若くてかわいい女の子がいて、ドライバーの奴がずっと「かわいい、かわいい」言ってました。確かにかわいい。彼女は村をあげて大事にされているそうです。

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帰り道の途中、景色の開けた道端に腰をおろして、お昼ごはんを食べようとしたら、たいていカンボジアで入ってるはずのうすっぺらいレンゲが入ってません。ラタナキリではそんなの入ってないほうが普通だそうです。
ドライバーと一緒に手づかみで豚肉のせごはんを食べました。

中国村とラオ村

ラタナキリの奥地にある少数民族の墓地を見てから、ボートに乗って一度ベンサイの方へ戻り、今度は川を反対側に10分ほど進んでいくと、そこに中国村がありました。

もともとバンルンの街もベンサイ集落も、ラタナキリ全般的に中国っぽい家や商店が多いのですが、この村はしっかりと中国してます。クメールの高床とは全く違う形式の青い家が数軒並んでいて、なるほどみなさんの顔も中国人っぽいです。ここの住民はカンボジア全土にたくさんいるいわゆる華僑ではなく、国共内戦時に逃げ延びてきた国民党の人たちだということです。ほんとかどうかわかりませんが。
しかしやはり中国人、周辺の商業をしっかりとおさえてるらしく、どの家も金持ちそうでした。

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その中国村と隣り合わせてラオ人の村があります。戸数的には中国村よりはるかに多く、1kmほどにわたって点々と家が続いています。
こちらは高床式でクメールの家と違いがよくわかりませんでしたが、違うといわれれば違うような同じような。
住んでる人たちも外見はクメール人と同じですね。話をしているところを盗み聞きしてみましたが、ボーとかドーとか言っていたのでラオ語のようです。
ここにラオの村があるのは別に不思議なことではなくて、行政上はカンボジアになっていますが、ラタナキリ北部やストゥントレンあたりはもともとラオ族の土地です。いまもこんなラオ族の集落は各地にあるようです。

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ラオの村のはじっこにお寺がありました。丸い仏塔があったりしてラオスっぽい感じもありましたが、看板はクメール語だしクメールのお寺なのか疑問に思っていたところ、ちょうどお坊さんたちが外から帰ってきたのでお話を伺ってみました。
やはり彼らはラオ人でここもラオのお寺だそうです。みなさんクメール語はできるようですが、普段の生活やお勤めはラオ語だとか。

2つの村を見学させてもらった後、またボートに乗ってベンサイへ戻ります。
村の広場にトゥックオンパウ屋のおばちゃんがいたので、さとうきびジュースを飲むことに。なぜかドライバーの彼のおごりでした。コープチャイノ。

帰り道、またまたバイクがパンク。
僕はハプニングがあればあるほど楽しめるほうなんですが、ドライバーがかなり申し訳なさそうにしています。
すぐに後ろからやってきたピックアップを止めて、僕だけそれに乗せてもらってバンルンまで帰ることになりました。ドライバーはバイクを押して近くの修理してもらえる家があるところまで歩いていくらしい。大変だなー。

さて、その乗せてもらったピックアップは、イタリア人の観光客のもので、イタリア人5人とドライバー、荷台にはガイドが乗っていました。もちろん僕も荷台に乗ったので、ガイドの彼といろいろ話をしながら帰ってきました。
話を聞くと、彼はクメール人ではなくタンプオン人だというではないですか。怪我の功名というかなんというか、ありがたくタンプオンの興味深い話をたっぷり聞くことができました。

カチョン墓地

ラタナキリのベンサイで2時間待ってやってきた船頭さんは、人のよさそうな若いお兄さん。
バンルンから私と一緒に来たガイド兼バイタクドライバーも一緒に乗って川を進むこと40分、ちょっとした砂浜に接岸しました。
浜を渡って階段のように切込みが付けられた崖をのぼると集落が出現しました。カチョン村というところらしいです。

この村にドライバーの彼がいうところの「チョンチアットセメタリー」があるそうです。ロンプラなどでも Chunchiet Cemeteries と紹介されていて、それだけだとチョンチアットという名前の墓地かと思いますが、きちんとクメール語を訳すと「民族墓地」とかそういう感じですかね。

この村は少数民族であるタンプオン族の村のようですが、他の村とちょっと違って、森を切り開いて村を作ったという感じではなく、森の中にそのまま家が建てられています。
その家々も子供たちの格好もどこか小奇麗で、山奥の少数民族の村という感じはしません。

村を歩いていると、一人の老人に声をかけられました。流暢な英語で「どっからきたんだ」「墓を見に来たのか」といろいろ聞いてきます。
そして「墓を修理するのに1ドルもらえないか」と。
別に驚きもせずに渡します。あらかじめドライバーの彼から見学料1ドル必要だと言われてましたから。

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その墓地は村のはずれの森の中に広がっていました。かすかな道らしきものがある藪の中を歩いていくと唐突に不思議な風景が広がります。
ひざ上ほどの高さの柵の中に東屋のようなものが建てられ、守り神のような像が正面に2体ずつ立っています。
そんなお墓が森の中に無数にひろがっています。お墓の形や色は様々で、守り神もいろんなスタイルがあります。

これは、なんでしょうね。どう見てもカンボジアではありません。少数民族の文化だとしてもあまりに奇抜です。
ドライバーにどのくらいの歴史があるのか聞いてみましたが、うまく通じなかったのか「10年くらい」という答えがかえってきました。木造なので10年くらいで新しくするという意味なのか、そもそも古い伝統ではないのか、わかりません。
しかも、タンプオン族に共通する文化ではなく、この形式の墓地はこの村にしか無いということです。
いったいなんなんでしょう。

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帰り際、横柄な態度の村の若者に呼び止められ、あまり丁寧ではないクメール語で「金は払ったのか」と確認されました。ドライバーが怒ってたのでよっぽど変な態度だったのでしょう。

ここは地球の歩き方にも載っているのですが、あまり日本人にはなじみの観光スポットではありませんよね。
ただラタナキリを訪れる欧米旅行者にはそれなりにメジャーなスポットらしく、毎日何人もの旅行者がここを訪れているようです。

ベンサイ

ラタナキリのバンルンを出発して村々を見学しながら2時間半、途中バイクのタイヤがパンクして何も無く誰も通らない森の中に1時間ほど置いてけぼりをくらいながらも、お昼前にひとまずの目的地であるベンサイへ到着しました。
少数民族の村々を見ながら森を抜けてくると、森が切り開けてほんのちょびっとだけ近代的でクメール的な大き目の村になり、道がそのまま川にぶつかって消えたところがベンサイの街です。街といってもここまで見てきた村に比べて大きいだけで、市場も見当たらない単なる山奥の集落なのですが。

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ドライバーの話だと、ここからはボートに乗って移動するらしいです、しかし、船頭が家で昼寝してるのでボートが出せないとのこと。対岸への渡し舟はいるのですが、それに乗っていけるどころではないらしいです。
まあお昼ご飯でも食べてゆっくり待つことにします。
川沿いには村で唯一の食堂があったので、そこでチャーハンを注文しました。

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食事後、村を探索してみると、軒先に繋がれた小猿を発見。
何をするでもなくぼーっと猿を見ているとそのうちに、山から街へ買い物に降りてきたのだろうか、少数民族の姉妹もやってきてただ猿を眺めてました。
その後、姉妹たちは一本しかない村のメインストリートをウインドウショッピングをしながらゆっくり歩いて、渡し舟に乗って対岸へと消えて行きました。

この時点で対岸への興味もかなり大きかったのですが、ドライバーのお勧めはどうやらもっと違うとこにあるようです。
そもそもボートでどこに行くの?
・少数民族の墓地
・中国国民党の隠れ村
・カンボジアなのにラオス人の村
だそうで、こりゃ行きたい。仕事とは関係なく個人的にかなりそそられるラインナップです。

さて、結局2時間ほど待ってやっと船頭さん登場。
小っっちゃなエンジン付ボートに乗っていよいよ出発です。

ラタナキリの少数民族めぐりの旅

前日約束をしたホテル出入りのドライバーと一緒に村めぐりに出発です。
話し合った結果、ベンサイ方面とタベン方面と2日にわけて行くことに。目的は工芸品の発掘なのですが、ドライバーもそういった情報は全く持っていないらしく、とりあえず行ける少数民族の村へたくさん行ってみることに。
今日はまずタンプオン族が多く住むというベンサイ方面へ。

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ガソリンをたっぶり入れてから、森の中の赤土の道をぐんぐんと進んでいきます。
一時間も走らないあたりで、街の人とはちょっと違う服装の人たちとすれ違うようになってきました。
ドライバーによるとタンプオンの人たちのよう。

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さっそく村らしきところに寄ってみます。

ラタナキリの州都 バンルン

ラタナキリというのは地域というか州の名前で、一般的にラタナキリに行くというのは中心の州都であるバンルンという街に行くことを指します。

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バンルンに到着してさっそく街を探索です。
驚くことに市場前のメインストリートを含めどこに行っても未舗装の赤土。車が通れば土埃が舞って視界がなくなるし、雨が降ったら全面水溜りだし大変です。
あまり見たことない色調の風景に、デジカメもたまに色調異常をおこしてます。

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でもこのバンルンはこじんまりとしてて妙に懐かしさ感じるとてもいいところですね。
なんか西部劇の舞台のような、建物は例によってヨーロッパぽいような、それでいて中国色も強いし、しかしお坊さんとかカンボジアだし、不思議な雰囲気の街です。

ラタナキリへ

ラタナキリへ行くために、前日に聞き込み調査をしたところ、船着場の近くのタクシープールから朝7時すぎに乗り合いタクシーが出発するというので、それに乗ることにしました。
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7時にその場所へ行くと、長身の白人のおっさんがバックパックを傍らに立っています。彼もラタナキリへ行くのでしょうか。やがてやってきたカムリタクシーには、すでにカンボジア人が運転手を含めて6人。満員ではありません、これに乗るんですよ、カンボジアの乗用車タクシーの標準定員は8人ですから。

白人さんと一緒にすでに2人座っている乗用車の後部座席に無理矢理入り込むと、すぐに車は出発。

ストゥントレンからラタナキリへ向かう道は、舗装ではないものの整備されてとても綺麗な道です。揺れは少ないものの、後部座席に4人もいて普通に座れるはずはありませんから、10分もたたないうちに体のあちこちが少しずつ痛みだします。

車中、やっぱり話しやすいのは外国人同士、カンボジアのタクシーシステムの文句の言い合いからはじめて、お互いの旅のことなどを聞きあいます。

その白人さんは宝石を買いあさってカンボジアを周ってるドイツ人でした。

4時間くらいと聞いていたのですが、ドライバーが土の道をがっつり飛ばしてくれたおかげで2時間半ほどで街が見えてきました。

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やがて市場前のタクシーターミナルに車は到着、途中ぼろいゲストハウスに外人2人組で降ろされそうになりましたが、ドイツ人の押しで最後まで乗り切りました。

事前に宿の情報を仕入れて決めてあったので、宿を決めてないドイツ人を誘ってそこまで徒歩移動です。といっても車を降りてから100mくらい。しかし目的の
Ratanak Hotel は改装中で閉まってました。仕方がないので向かいの Kim Marakot Hotel
へ飛び込み。これが大あたり、$5で綺麗な部屋にドイツ人も満足そうでした。

(ネット環境がなかったので、この日記は後で書きました)