クルン族の村3つ

今日はオーチョムからタベン方面へ。もちろんドライバーは昨日と同じ彼。昨日はタンプオン族の村を回りましたが、こちらのルートではクルン族の村を観ることができるようです。

今日行くのはほんとに山奥で、途中で昼食をとることのできる食堂が見つけられないというので、出発前に市場で豚肉のせごはんを2つテイクアウトしました。水もしっかり買ってゴー。

途中まで前日のベンサイと同じ道を進んで、オーチョムという地区のあたりで右にそれます。

まずは地球の歩き方にも載っているノンラ村へ。
この村は完璧に観光地です。きちっと柵で囲われて、ゲームにでも出てきそうな村らしい村で、正面ど真ん中にクルン族の村の特徴でもある背の高い小屋が建っています。

タンプオンの村にも結婚前の女性用の小さな家がありましたが、クルンの村には女性用の背の低い家と、男性用の背の高い家がセットで建っています。女性用はタンプオンのものと同じような意味合いで結婚相手を探すために寝泊りし、隣の特徴的なノッポの家には勇気を試すために成人する男性が住むようです。

ちなみにこの村にある小屋は観光用のダミーだということが村人への聞き込みによって判明しました。
 ほかにも、NGOのポスターが貼ってあったり、村の井戸には「フンセン首相が作ってくれましたー」みたいなことがでかでかと書いてあったり、村の隣に立派な学校があったり、援助で幸せな村なのかよってたかってレイプされてる悲劇の村なのか微妙なところです。

次の村へバイクを進めます。途中、ストーンフィールドと呼ばれるミステリーゾーンを通過。詳細は秘密です。

次のコーラー村はさっきの村より自然で大きな村でした。大きな集会所や使用感のある背の高い家もちゃんとあります。しかし村人が怖い。誰に話しかけても返事してくれないし、写真を撮っていいかとカメラを構えようとしたらおばあさんに怒鳴られました。
 逃げるように次へ。

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3番目の村は、かなり山奥に入ったところのこじんまりとした村。クレ村。
おそるおそる入っていくと、村のあちこちで女性たちが布織りをしているのが見えます。やったね、半ばあきらめていたところでやっと遭遇できました。
撮影の確認をすると「撮るならモデル料払ってよー」なんてとってもフレンドリー。
織られた布を買っていこうとしたら「いまあんまりいい在庫がないから、いま織ってるのを30分で完成させるから、それまで村の写真撮って待ってなさい」と。
いやーいい村だ。
織物をしているクルン族女性の中に、一人若くてかわいい女の子がいて、ドライバーの奴がずっと「かわいい、かわいい」言ってました。確かにかわいい。彼女は村をあげて大事にされているそうです。

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帰り道の途中、景色の開けた道端に腰をおろして、お昼ごはんを食べようとしたら、たいていカンボジアで入ってるはずのうすっぺらいレンゲが入ってません。ラタナキリではそんなの入ってないほうが普通だそうです。
ドライバーと一緒に手づかみで豚肉のせごはんを食べました。

中国村とラオ村

ラタナキリの奥地にある少数民族の墓地を見てから、ボートに乗って一度ベンサイの方へ戻り、今度は川を反対側に10分ほど進んでいくと、そこに中国村がありました。

もともとバンルンの街もベンサイ集落も、ラタナキリ全般的に中国っぽい家や商店が多いのですが、この村はしっかりと中国してます。クメールの高床とは全く違う形式の青い家が数軒並んでいて、なるほどみなさんの顔も中国人っぽいです。ここの住民はカンボジア全土にたくさんいるいわゆる華僑ではなく、国共内戦時に逃げ延びてきた国民党の人たちだということです。ほんとかどうかわかりませんが。
しかしやはり中国人、周辺の商業をしっかりとおさえてるらしく、どの家も金持ちそうでした。

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その中国村と隣り合わせてラオ人の村があります。戸数的には中国村よりはるかに多く、1kmほどにわたって点々と家が続いています。
こちらは高床式でクメールの家と違いがよくわかりませんでしたが、違うといわれれば違うような同じような。
住んでる人たちも外見はクメール人と同じですね。話をしているところを盗み聞きしてみましたが、ボーとかドーとか言っていたのでラオ語のようです。
ここにラオの村があるのは別に不思議なことではなくて、行政上はカンボジアになっていますが、ラタナキリ北部やストゥントレンあたりはもともとラオ族の土地です。いまもこんなラオ族の集落は各地にあるようです。

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ラオの村のはじっこにお寺がありました。丸い仏塔があったりしてラオスっぽい感じもありましたが、看板はクメール語だしクメールのお寺なのか疑問に思っていたところ、ちょうどお坊さんたちが外から帰ってきたのでお話を伺ってみました。
やはり彼らはラオ人でここもラオのお寺だそうです。みなさんクメール語はできるようですが、普段の生活やお勤めはラオ語だとか。

2つの村を見学させてもらった後、またボートに乗ってベンサイへ戻ります。
村の広場にトゥックオンパウ屋のおばちゃんがいたので、さとうきびジュースを飲むことに。なぜかドライバーの彼のおごりでした。コープチャイノ。

帰り道、またまたバイクがパンク。
僕はハプニングがあればあるほど楽しめるほうなんですが、ドライバーがかなり申し訳なさそうにしています。
すぐに後ろからやってきたピックアップを止めて、僕だけそれに乗せてもらってバンルンまで帰ることになりました。ドライバーはバイクを押して近くの修理してもらえる家があるところまで歩いていくらしい。大変だなー。

さて、その乗せてもらったピックアップは、イタリア人の観光客のもので、イタリア人5人とドライバー、荷台にはガイドが乗っていました。もちろん僕も荷台に乗ったので、ガイドの彼といろいろ話をしながら帰ってきました。
話を聞くと、彼はクメール人ではなくタンプオン人だというではないですか。怪我の功名というかなんというか、ありがたくタンプオンの興味深い話をたっぷり聞くことができました。

カチョン墓地

ラタナキリのベンサイで2時間待ってやってきた船頭さんは、人のよさそうな若いお兄さん。
バンルンから私と一緒に来たガイド兼バイタクドライバーも一緒に乗って川を進むこと40分、ちょっとした砂浜に接岸しました。
浜を渡って階段のように切込みが付けられた崖をのぼると集落が出現しました。カチョン村というところらしいです。

この村にドライバーの彼がいうところの「チョンチアットセメタリー」があるそうです。ロンプラなどでも Chunchiet Cemeteries と紹介されていて、それだけだとチョンチアットという名前の墓地かと思いますが、きちんとクメール語を訳すと「民族墓地」とかそういう感じですかね。

この村は少数民族であるタンプオン族の村のようですが、他の村とちょっと違って、森を切り開いて村を作ったという感じではなく、森の中にそのまま家が建てられています。
その家々も子供たちの格好もどこか小奇麗で、山奥の少数民族の村という感じはしません。

村を歩いていると、一人の老人に声をかけられました。流暢な英語で「どっからきたんだ」「墓を見に来たのか」といろいろ聞いてきます。
そして「墓を修理するのに1ドルもらえないか」と。
別に驚きもせずに渡します。あらかじめドライバーの彼から見学料1ドル必要だと言われてましたから。

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その墓地は村のはずれの森の中に広がっていました。かすかな道らしきものがある藪の中を歩いていくと唐突に不思議な風景が広がります。
ひざ上ほどの高さの柵の中に東屋のようなものが建てられ、守り神のような像が正面に2体ずつ立っています。
そんなお墓が森の中に無数にひろがっています。お墓の形や色は様々で、守り神もいろんなスタイルがあります。

これは、なんでしょうね。どう見てもカンボジアではありません。少数民族の文化だとしてもあまりに奇抜です。
ドライバーにどのくらいの歴史があるのか聞いてみましたが、うまく通じなかったのか「10年くらい」という答えがかえってきました。木造なので10年くらいで新しくするという意味なのか、そもそも古い伝統ではないのか、わかりません。
しかも、タンプオン族に共通する文化ではなく、この形式の墓地はこの村にしか無いということです。
いったいなんなんでしょう。

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帰り際、横柄な態度の村の若者に呼び止められ、あまり丁寧ではないクメール語で「金は払ったのか」と確認されました。ドライバーが怒ってたのでよっぽど変な態度だったのでしょう。

ここは地球の歩き方にも載っているのですが、あまり日本人にはなじみの観光スポットではありませんよね。
ただラタナキリを訪れる欧米旅行者にはそれなりにメジャーなスポットらしく、毎日何人もの旅行者がここを訪れているようです。

ベンサイ

ラタナキリのバンルンを出発して村々を見学しながら2時間半、途中バイクのタイヤがパンクして何も無く誰も通らない森の中に1時間ほど置いてけぼりをくらいながらも、お昼前にひとまずの目的地であるベンサイへ到着しました。
少数民族の村々を見ながら森を抜けてくると、森が切り開けてほんのちょびっとだけ近代的でクメール的な大き目の村になり、道がそのまま川にぶつかって消えたところがベンサイの街です。街といってもここまで見てきた村に比べて大きいだけで、市場も見当たらない単なる山奥の集落なのですが。

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ドライバーの話だと、ここからはボートに乗って移動するらしいです、しかし、船頭が家で昼寝してるのでボートが出せないとのこと。対岸への渡し舟はいるのですが、それに乗っていけるどころではないらしいです。
まあお昼ご飯でも食べてゆっくり待つことにします。
川沿いには村で唯一の食堂があったので、そこでチャーハンを注文しました。

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食事後、村を探索してみると、軒先に繋がれた小猿を発見。
何をするでもなくぼーっと猿を見ているとそのうちに、山から街へ買い物に降りてきたのだろうか、少数民族の姉妹もやってきてただ猿を眺めてました。
その後、姉妹たちは一本しかない村のメインストリートをウインドウショッピングをしながらゆっくり歩いて、渡し舟に乗って対岸へと消えて行きました。

この時点で対岸への興味もかなり大きかったのですが、ドライバーのお勧めはどうやらもっと違うとこにあるようです。
そもそもボートでどこに行くの?
・少数民族の墓地
・中国国民党の隠れ村
・カンボジアなのにラオス人の村
だそうで、こりゃ行きたい。仕事とは関係なく個人的にかなりそそられるラインナップです。

さて、結局2時間ほど待ってやっと船頭さん登場。
小っっちゃなエンジン付ボートに乗っていよいよ出発です。

ラタナキリの少数民族めぐりの旅

前日約束をしたホテル出入りのドライバーと一緒に村めぐりに出発です。
話し合った結果、ベンサイ方面とタベン方面と2日にわけて行くことに。目的は工芸品の発掘なのですが、ドライバーもそういった情報は全く持っていないらしく、とりあえず行ける少数民族の村へたくさん行ってみることに。
今日はまずタンプオン族が多く住むというベンサイ方面へ。

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ガソリンをたっぶり入れてから、森の中の赤土の道をぐんぐんと進んでいきます。
一時間も走らないあたりで、街の人とはちょっと違う服装の人たちとすれ違うようになってきました。
ドライバーによるとタンプオンの人たちのよう。

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さっそく村らしきところに寄ってみます。