クルン族の村3つ

今日はオーチョムからタベン方面へ。もちろんドライバーは昨日と同じ彼。昨日はタンプオン族の村を回りましたが、こちらのルートではクルン族の村を観ることができるようです。

今日行くのはほんとに山奥で、途中で昼食をとることのできる食堂が見つけられないというので、出発前に市場で豚肉のせごはんを2つテイクアウトしました。水もしっかり買ってゴー。

途中まで前日のベンサイと同じ道を進んで、オーチョムという地区のあたりで右にそれます。

まずは地球の歩き方にも載っているノンラ村へ。
この村は完璧に観光地です。きちっと柵で囲われて、ゲームにでも出てきそうな村らしい村で、正面ど真ん中にクルン族の村の特徴でもある背の高い小屋が建っています。

タンプオンの村にも結婚前の女性用の小さな家がありましたが、クルンの村には女性用の背の低い家と、男性用の背の高い家がセットで建っています。女性用はタンプオンのものと同じような意味合いで結婚相手を探すために寝泊りし、隣の特徴的なノッポの家には勇気を試すために成人する男性が住むようです。

ちなみにこの村にある小屋は観光用のダミーだということが村人への聞き込みによって判明しました。
 ほかにも、NGOのポスターが貼ってあったり、村の井戸には「フンセン首相が作ってくれましたー」みたいなことがでかでかと書いてあったり、村の隣に立派な学校があったり、援助で幸せな村なのかよってたかってレイプされてる悲劇の村なのか微妙なところです。

次の村へバイクを進めます。途中、ストーンフィールドと呼ばれるミステリーゾーンを通過。詳細は秘密です。

次のコーラー村はさっきの村より自然で大きな村でした。大きな集会所や使用感のある背の高い家もちゃんとあります。しかし村人が怖い。誰に話しかけても返事してくれないし、写真を撮っていいかとカメラを構えようとしたらおばあさんに怒鳴られました。
 逃げるように次へ。

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3番目の村は、かなり山奥に入ったところのこじんまりとした村。クレ村。
おそるおそる入っていくと、村のあちこちで女性たちが布織りをしているのが見えます。やったね、半ばあきらめていたところでやっと遭遇できました。
撮影の確認をすると「撮るならモデル料払ってよー」なんてとってもフレンドリー。
織られた布を買っていこうとしたら「いまあんまりいい在庫がないから、いま織ってるのを30分で完成させるから、それまで村の写真撮って待ってなさい」と。
いやーいい村だ。
織物をしているクルン族女性の中に、一人若くてかわいい女の子がいて、ドライバーの奴がずっと「かわいい、かわいい」言ってました。確かにかわいい。彼女は村をあげて大事にされているそうです。

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帰り道の途中、景色の開けた道端に腰をおろして、お昼ごはんを食べようとしたら、たいていカンボジアで入ってるはずのうすっぺらいレンゲが入ってません。ラタナキリではそんなの入ってないほうが普通だそうです。
ドライバーと一緒に手づかみで豚肉のせごはんを食べました。

中国村とラオ村

ラタナキリの奥地にある少数民族の墓地を見てから、ボートに乗って一度ベンサイの方へ戻り、今度は川を反対側に10分ほど進んでいくと、そこに中国村がありました。

もともとバンルンの街もベンサイ集落も、ラタナキリ全般的に中国っぽい家や商店が多いのですが、この村はしっかりと中国してます。クメールの高床とは全く違う形式の青い家が数軒並んでいて、なるほどみなさんの顔も中国人っぽいです。ここの住民はカンボジア全土にたくさんいるいわゆる華僑ではなく、国共内戦時に逃げ延びてきた国民党の人たちだということです。ほんとかどうかわかりませんが。
しかしやはり中国人、周辺の商業をしっかりとおさえてるらしく、どの家も金持ちそうでした。

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その中国村と隣り合わせてラオ人の村があります。戸数的には中国村よりはるかに多く、1kmほどにわたって点々と家が続いています。
こちらは高床式でクメールの家と違いがよくわかりませんでしたが、違うといわれれば違うような同じような。
住んでる人たちも外見はクメール人と同じですね。話をしているところを盗み聞きしてみましたが、ボーとかドーとか言っていたのでラオ語のようです。
ここにラオの村があるのは別に不思議なことではなくて、行政上はカンボジアになっていますが、ラタナキリ北部やストゥントレンあたりはもともとラオ族の土地です。いまもこんなラオ族の集落は各地にあるようです。

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ラオの村のはじっこにお寺がありました。丸い仏塔があったりしてラオスっぽい感じもありましたが、看板はクメール語だしクメールのお寺なのか疑問に思っていたところ、ちょうどお坊さんたちが外から帰ってきたのでお話を伺ってみました。
やはり彼らはラオ人でここもラオのお寺だそうです。みなさんクメール語はできるようですが、普段の生活やお勤めはラオ語だとか。

2つの村を見学させてもらった後、またボートに乗ってベンサイへ戻ります。
村の広場にトゥックオンパウ屋のおばちゃんがいたので、さとうきびジュースを飲むことに。なぜかドライバーの彼のおごりでした。コープチャイノ。

帰り道、またまたバイクがパンク。
僕はハプニングがあればあるほど楽しめるほうなんですが、ドライバーがかなり申し訳なさそうにしています。
すぐに後ろからやってきたピックアップを止めて、僕だけそれに乗せてもらってバンルンまで帰ることになりました。ドライバーはバイクを押して近くの修理してもらえる家があるところまで歩いていくらしい。大変だなー。

さて、その乗せてもらったピックアップは、イタリア人の観光客のもので、イタリア人5人とドライバー、荷台にはガイドが乗っていました。もちろん僕も荷台に乗ったので、ガイドの彼といろいろ話をしながら帰ってきました。
話を聞くと、彼はクメール人ではなくタンプオン人だというではないですか。怪我の功名というかなんというか、ありがたくタンプオンの興味深い話をたっぷり聞くことができました。

カチョン墓地

ラタナキリのベンサイで2時間待ってやってきた船頭さんは、人のよさそうな若いお兄さん。
バンルンから私と一緒に来たガイド兼バイタクドライバーも一緒に乗って川を進むこと40分、ちょっとした砂浜に接岸しました。
浜を渡って階段のように切込みが付けられた崖をのぼると集落が出現しました。カチョン村というところらしいです。

この村にドライバーの彼がいうところの「チョンチアットセメタリー」があるそうです。ロンプラなどでも Chunchiet Cemeteries と紹介されていて、それだけだとチョンチアットという名前の墓地かと思いますが、きちんとクメール語を訳すと「民族墓地」とかそういう感じですかね。

この村は少数民族であるタンプオン族の村のようですが、他の村とちょっと違って、森を切り開いて村を作ったという感じではなく、森の中にそのまま家が建てられています。
その家々も子供たちの格好もどこか小奇麗で、山奥の少数民族の村という感じはしません。

村を歩いていると、一人の老人に声をかけられました。流暢な英語で「どっからきたんだ」「墓を見に来たのか」といろいろ聞いてきます。
そして「墓を修理するのに1ドルもらえないか」と。
別に驚きもせずに渡します。あらかじめドライバーの彼から見学料1ドル必要だと言われてましたから。

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その墓地は村のはずれの森の中に広がっていました。かすかな道らしきものがある藪の中を歩いていくと唐突に不思議な風景が広がります。
ひざ上ほどの高さの柵の中に東屋のようなものが建てられ、守り神のような像が正面に2体ずつ立っています。
そんなお墓が森の中に無数にひろがっています。お墓の形や色は様々で、守り神もいろんなスタイルがあります。

これは、なんでしょうね。どう見てもカンボジアではありません。少数民族の文化だとしてもあまりに奇抜です。
ドライバーにどのくらいの歴史があるのか聞いてみましたが、うまく通じなかったのか「10年くらい」という答えがかえってきました。木造なので10年くらいで新しくするという意味なのか、そもそも古い伝統ではないのか、わかりません。
しかも、タンプオン族に共通する文化ではなく、この形式の墓地はこの村にしか無いということです。
いったいなんなんでしょう。

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帰り際、横柄な態度の村の若者に呼び止められ、あまり丁寧ではないクメール語で「金は払ったのか」と確認されました。ドライバーが怒ってたのでよっぽど変な態度だったのでしょう。

ここは地球の歩き方にも載っているのですが、あまり日本人にはなじみの観光スポットではありませんよね。
ただラタナキリを訪れる欧米旅行者にはそれなりにメジャーなスポットらしく、毎日何人もの旅行者がここを訪れているようです。

ベンサイ

ラタナキリのバンルンを出発して村々を見学しながら2時間半、途中バイクのタイヤがパンクして何も無く誰も通らない森の中に1時間ほど置いてけぼりをくらいながらも、お昼前にひとまずの目的地であるベンサイへ到着しました。
少数民族の村々を見ながら森を抜けてくると、森が切り開けてほんのちょびっとだけ近代的でクメール的な大き目の村になり、道がそのまま川にぶつかって消えたところがベンサイの街です。街といってもここまで見てきた村に比べて大きいだけで、市場も見当たらない単なる山奥の集落なのですが。

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ドライバーの話だと、ここからはボートに乗って移動するらしいです、しかし、船頭が家で昼寝してるのでボートが出せないとのこと。対岸への渡し舟はいるのですが、それに乗っていけるどころではないらしいです。
まあお昼ご飯でも食べてゆっくり待つことにします。
川沿いには村で唯一の食堂があったので、そこでチャーハンを注文しました。

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食事後、村を探索してみると、軒先に繋がれた小猿を発見。
何をするでもなくぼーっと猿を見ているとそのうちに、山から街へ買い物に降りてきたのだろうか、少数民族の姉妹もやってきてただ猿を眺めてました。
その後、姉妹たちは一本しかない村のメインストリートをウインドウショッピングをしながらゆっくり歩いて、渡し舟に乗って対岸へと消えて行きました。

この時点で対岸への興味もかなり大きかったのですが、ドライバーのお勧めはどうやらもっと違うとこにあるようです。
そもそもボートでどこに行くの?
・少数民族の墓地
・中国国民党の隠れ村
・カンボジアなのにラオス人の村
だそうで、こりゃ行きたい。仕事とは関係なく個人的にかなりそそられるラインナップです。

さて、結局2時間ほど待ってやっと船頭さん登場。
小っっちゃなエンジン付ボートに乗っていよいよ出発です。

ラタナキリの少数民族めぐりの旅

前日約束をしたホテル出入りのドライバーと一緒に村めぐりに出発です。
話し合った結果、ベンサイ方面とタベン方面と2日にわけて行くことに。目的は工芸品の発掘なのですが、ドライバーもそういった情報は全く持っていないらしく、とりあえず行ける少数民族の村へたくさん行ってみることに。
今日はまずタンプオン族が多く住むというベンサイ方面へ。

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ガソリンをたっぶり入れてから、森の中の赤土の道をぐんぐんと進んでいきます。
一時間も走らないあたりで、街の人とはちょっと違う服装の人たちとすれ違うようになってきました。
ドライバーによるとタンプオンの人たちのよう。

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さっそく村らしきところに寄ってみます。

ラタナキリの州都 バンルン

ラタナキリというのは地域というか州の名前で、一般的にラタナキリに行くというのは中心の州都であるバンルンという街に行くことを指します。

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バンルンに到着してさっそく街を探索です。
驚くことに市場前のメインストリートを含めどこに行っても未舗装の赤土。車が通れば土埃が舞って視界がなくなるし、雨が降ったら全面水溜りだし大変です。
あまり見たことない色調の風景に、デジカメもたまに色調異常をおこしてます。

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でもこのバンルンはこじんまりとしてて妙に懐かしさ感じるとてもいいところですね。
なんか西部劇の舞台のような、建物は例によってヨーロッパぽいような、それでいて中国色も強いし、しかしお坊さんとかカンボジアだし、不思議な雰囲気の街です。

ラタナキリへ

ラタナキリへ行くために、前日に聞き込み調査をしたところ、船着場の近くのタクシープールから朝7時すぎに乗り合いタクシーが出発するというので、それに乗ることにしました。
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7時にその場所へ行くと、長身の白人のおっさんがバックパックを傍らに立っています。彼もラタナキリへ行くのでしょうか。やがてやってきたカムリタクシーには、すでにカンボジア人が運転手を含めて6人。満員ではありません、これに乗るんですよ、カンボジアの乗用車タクシーの標準定員は8人ですから。

白人さんと一緒にすでに2人座っている乗用車の後部座席に無理矢理入り込むと、すぐに車は出発。

ストゥントレンからラタナキリへ向かう道は、舗装ではないものの整備されてとても綺麗な道です。揺れは少ないものの、後部座席に4人もいて普通に座れるはずはありませんから、10分もたたないうちに体のあちこちが少しずつ痛みだします。

車中、やっぱり話しやすいのは外国人同士、カンボジアのタクシーシステムの文句の言い合いからはじめて、お互いの旅のことなどを聞きあいます。

その白人さんは宝石を買いあさってカンボジアを周ってるドイツ人でした。

4時間くらいと聞いていたのですが、ドライバーが土の道をがっつり飛ばしてくれたおかげで2時間半ほどで街が見えてきました。

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やがて市場前のタクシーターミナルに車は到着、途中ぼろいゲストハウスに外人2人組で降ろされそうになりましたが、ドイツ人の押しで最後まで乗り切りました。

事前に宿の情報を仕入れて決めてあったので、宿を決めてないドイツ人を誘ってそこまで徒歩移動です。といっても車を降りてから100mくらい。しかし目的の
Ratanak Hotel は改装中で閉まってました。仕方がないので向かいの Kim Marakot Hotel
へ飛び込み。これが大あたり、$5で綺麗な部屋にドイツ人も満足そうでした。

(ネット環境がなかったので、この日記は後で書きました)

ストゥントレン

5月7日の夕方、ストゥントレンに到着。
もうちょっと北にいくとラオスになるカンボジアの北の果ての町です。

ずっと勘違いしてたことがひとつ。ストゥントレンもクラチェやコンポンチャムと同じようにメコン川に面する街だとずっと思い込んでいたのですが、あらためて地図をみるとどうやらそうではないようです。メコンと直角に合流する川には面していても、メコン自体からは少し離れています。

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中心から少し離れたところに、ラオスに向かうための橋を建設中でした。中国資本で建設しているようで、機械類や看板が全て中国語。ラオスを突っ切って中国と結ぶラインを作ろうとしているのでしょうか。かなり遠いぞ。

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ホテルでテレビをつけると、聞こえてきたのはラオ語。きくところによるとこの周辺では、カンボジア人でもラオ語を使う人が多いとか。ちょっと不思議。

一気に北上

今回の最初の目的地はカンボジア北東部のラタナキリなので、プノンペンは1泊ですぐ北を目指します。まずはバスで行ける最北、ラオスとのゲートウェイのストゥントレンまで。

プノンペン~ストゥントレンのバスを運行しているのは数社あるようですが、安かったセントラルマーケット前のバス会社を利用することにします。$10。

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ちなみにここ、昔はホーワジェンディングで前回プノンペンパブリックトランスポートに変わっていたのですが、今回さらにプノンペンソリヤトランスポートになっていました。意味不明。

所用予定時間は8時間ということで覚悟して朝7時にバスに乗り込みます。

途中いくつもの街で停まって休憩や客の入れ替えをしながら行くのですが、コンポンチャムからクラチェの間にいくつかある街がマイナーなのに意外と発展してて独特な雰囲気があってとても気になっています。写真2はスオンという結構でかい街。山間の坂の途中に突然広がるメモットという街も、魔法使いを意味するその名前からして実にミステリアス。次回はこのへんの調査をしてみたいですね。 159929206_253

そんなこんなで9時間後、午後4時にバスはストゥントレン到着です。意外と近かった。

ちなみにプノンペンからクラチェまでの道は舗装路でまったく問題ありませんが、クラチェからしばらく進んだあたりからあやしくなってきます。路面はそう悪くないですが、砂埃がすごいです。あちこちで大工事中なので数年後にはもっとストゥントレンが近くなるでしょう。

プノンペン到着!

今回もまたプノンペンは遠かった。

飛行機6時間、夜中のバスターミナルで待ち3時間、バス7時間、ミニバス1時間半でココン一泊。
今朝ココンを出発ミニバス5時間で国道へ。大型バスが通過するのを30分待ってそれに乗って2時間ちょいでプノンペン到着です。

明日はまた朝7時からバス8時間という大移動です。8時間てことはたぶん10時間くらいかかるな。

おそらくしばらくの間ネットできません。

ココンのイスラム地区

成田からバンコクについてそのまままっすぐカンボジアのココンへ向かいました。
ココンは何度もきているので今回はプノンペンへ向かう単なる通過点です。

時間をみつけてちょっとチャム地区だけ見てきました。ココンのチャム人地区も結構大きくて、立派なモスクがあったりします。

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村の様子などは見た感じクメールと変わりありませんが、女性の格好をみるとムスリムだってのがよくわかりますね。
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クルンテープで予備日

バンコクに到着しています。
柄にも無くカオサンとか泊まっています。
でもなんかなじめなくて午前中からマーブンクロンとかきちゃってます。

それにしてもタイはすごいよなー、土ぼこりの舞う中遠くにやしの木を見ながらでこぼこ道を走ってきて、国境を越えたとたん完璧な道路ときれいな家々。バンコクに入るとすぐ隣の国とは思えない近未来な都市の風景が広がってて。

それでも僕はカンボジア大好き人間なので、タイよりもカンボジアの方がどこをとってもずっと素晴らしい国だと思っています。人もいいし自然もきれい、街並みもすばらしいし、食べ物…

食べ物だけはどうしてもカンボジアは厳しいのですが、それでも無理やり思い込むことにしてます。あの素朴なカンボジア料理の美味しさ!タイ料理なんか辛いだけだしダメダメさ、と。

しかしそれだけ無理に思い込んでも、どうしてもカンボジアが勝てないタイ料理がひとつだけあります。
カオマンガイ。

いやーこれだけはタイの圧勝ですね。カオマンガイのためにタイが存在するといっても過言ではないくらい。

クメール人よ、鶏肉の骨はきちんと取り除いてくれ。

さようならカンボジア

明日カンボジアを離れます。
いやー帰りたくないなー。回数を重ねるごとにどんどん好きになる恐ろしい国です。(逆にベトナムとかは2度と行きたくないけど)

さて、昨日なぜかシェムリアップでは明け方激しく雨が降りまして、カンボジア人たちもおかしいと言ってました。まだまだ乾季なのにたまにあるんですよね。

そして今日の午前中は曇っていて風があってとても寒いです。Tシャツ1枚ではとても居られないくらい。絶好の遺跡観光日和ですね。

といっても今回はどこの遺跡にも行ってません。
プレアヴィヒア行きたかったなー、でも日程と予算が足りなくて…。次回は必ず。

カンボジアの不思議な面々

昨日の夕食、在カンボジアの知人に誘われて中華を食べに行きました。そこでまた強いキャラの在住日本人と会いまして、チェンラのリンも合流してものすごい面子に。これで美容師さんが加わればロンだそうです。

その後はリンがどうしても飲みたいっていうから、一緒に2人でバーストリートへ。なんだか酔っ払った年下のカンボジア人からありがたいお説教と愚痴を長々と頂きました。大変なんだなー彼も。

さて、そろそろ出国の計画を立てなければなりません。

諸々のスケジュールから、今回は素直にポイペトに戻るルートを考えてましたが、今朝、アンロンヴェンルートに興味があるという旅行者と遭遇。一緒に行けるならちょっと無理してもいいかなー。でもそれだとスケジュール的にかなり厳しい。どうしよう。

シェムリアップ全面工事中

いまはオフシーズンなんでしょう、シェムリアップのオールドマーケット周辺は全ての道を掘り返していて、マーケット内に入るのも一苦労です。
シソポン~シェムリアップの道も、あちこちで測量をしていて、いよいよ舗装されるようです。完成予定は2008年。というか、それ以前にはいろんな圧力より開通させられないそうだ。ま、いろんな利権がね。

あ、あと、1000リエル札が新しくなってた。プノンペンで友人が持ってて自慢されたんだけど、その後どこでも出会えなくて、シェムリアップの両替屋で見つけて交換してもらった。

ブルー系のパープルでかっこいい。

さて、チェンラにきてしまうと、どうもゆっくりぼーっとしてしまう。なんかそんな癖がついた。

これではいけないと歩き出しても、「あ、タケオのシェイクでも久しぶりに」とタケオ食堂でぼーっと。
タケオとチェンラの間によさそうな食堂ができましたね。朝にクイティウ食べるにはぴったり。

そんでチェンラで大事件が!
マウが結婚!?
ほんとかよ。

そう、あのかわいいマウ。ちょこちょこ駆け回っててねー、日本人のファンも多かったみたいだし。
えー、もう結婚したらしいです。12月に。 いまはチェンラをやめてオールドマーケット近くで働いているとか。
せめてもの救いは相手が前から付き合っていたクメール人の彼氏だということ。これで相手が日本人とかだったらどんな手を使ってでも止めさせたのに。
子供できたとかそういうわけでもなさそうなのになんで。まだ全然若いだろうに、20歳前でしょ。あーあ、でもお幸せにね。
ソティアとかは若すぎる結婚にちょっと否定的な話し方だったんだけど、マウもいろいろ考えたんだろうね。

シェムリアップ

予想通りというか、やはりシェムリアップは劇的に変わっていた。

チェンラにはなんか敷地内にネット屋ができてるし。
チェンラの敷地内で液晶ディスプレイでXPという良い条件だが、15分1000リエルという激高っぷり。
いまやバッタンバンでも1時間1500リエルなのに。

スターマートにカフェができたのは知ってたけど、24時間のATMまである。
ATMは驚いた。オールドマーケットの横にも銀行ができていて、そこにもATMがあった。クレジットカードはもちろん、シーラスやPLUSのキャッシュカードも使える。

それに比べて相変わらず変わってないのは、シソポンからシェムリアップへの道。いまは乾季なので、雨季のようなどろどろで通行不能というまでではなかったけど、なかなかのダートっぷりでした。ここまでくると「わざと」だっていう噂もうなづけますね。

バッタンバン最終日

そして今日は、僕の人生にとってかなり重要な日でもありました。

午前中、聾唖者のための学校にいってきました。目の見えない子供たちに点字を、耳の聞こえない子供たちに手話を、さらに一般教育全般を教えていて、彼らが公立の学校に通えるためのサポートをしています。また職業訓練課程も備えていて、カンボジア音楽や踊りの指導などもしています。
日本ではあたりまえですが、カンボジアにこんなにきちんとした学校があるとは思っていませんでした。
日本で手話なんか全然覚えてないのに、カンボジアの子供たちから手話を教わってきました。

お昼は、昨日に引き続き、お寺でお坊さんがやっている日本語教室へ。もちろんそのお坊さんが日本語教育の技能を持っているわけではないのですが、4年間も日本語勉強していて、まったく問題なく僕と会話できるくらいで、教え方もなかなかしっかりとしたものでした。これできちんと発音をなおしてくれる日本人がついていれば、将来きちんとした学校にもできるんじゃないかな。

午後は職業訓練センターで今後の計画の打ち合わせ。なかなかいいプロジェクトになりそうです。

大きく確実に波がやってきてます。
バッタンバンではやることがまだまだあるのですが、そろそろ次に移動しなければなりません。
明日はシェムリアップに移動です。

北澤がバッタンバンに

きてるらしい。日本のテレビ局とかもきてるとか。
北澤さんはこれまでも何度か、カンボジアの子供たちにサッカーを教えにとかやってきてますね。今回は、学校を建てたとかで来訪したみたいです。
でも、あまり知られてないですよね、サッカーの北澤がカンボジアに関わってるなんて。カンボジア人にも、キタザワって言っても誰も知らないし。もうちょっと話を広げてもいいんじゃないかな。
こっそりやってるのもかっこいいけど、きちんと宣伝するのもなによりカンボジアのためだと思う。

誰かサッカー関係者の方ここを見てたら、北澤氏にそう伝えてください。

さて、今日はバッタンバンの職業訓練センターをいろいろと取材してきました。
ここでは、コンピュータ、縫製、理髪、野菜装飾加工、などなどを指導していて、中でもヘアカットのクラスでは、近郊の小学校から子供たちを連れてきてカット練習をさせてもらうかわりに無料で髪を切る、という面白いシステムをとっています。
小学校まで子供集めに同行したり、丸一日見学させてもらいました。そしていろいろとこれからのお願いもしてきました。サンプル製作なども快く引き受けてもらって、たいへんありがたいです。
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夕方からは、知り合いの坊さんを尋ねてお寺へ。
前にちょっと彼に日本語を教えてたことがあるのだけど、なんと今はその坊さんが独自に日本語教室なんか開いてるらしい。
すごいな。でもバッタンバンでは日本語を教えてくれる先生が見つからなくて大変らしい。協力隊員なんかがちょっと手伝ったりしてくれてはいるみたいだが。
というわけで明日は、その坊さん日本語教室を見学させてもらいます。

バッタンバン!

昨日の夕方、5時間かけてプノンペンからバッタンバンに到着してまずびっくり。
外人が多い!

2年前には、NGO関係者が少しいるだけで旅行者なんてほとんど見なかったのに、レストランには白人旅行者があふれかえっている。
というわけで安いネットカフェなんかも、うじゃうじゃできてる。
自分で来ておいてなんなんだが、みんな何しにくるのだろう。何もないのにバッタンバンなんか。

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さて午前中は、以前働いていた職業訓練センターに顔を出してきました。
ほんの数度しか会ったことない先生も、名前までしっかり覚えててくれて感激。
午後からは、かつての教え子の家までおじゃましてカンボジアの田舎の午後を満喫。飼い犬にすげー吠えられた。

明日は丸一日、職業訓練センターの取材をさせてもらいます。

移動日

一週間近くいたプノンペンを離れ、次はバッタンバンへ。
これからバスに乗り込みます。

手近にキャピトルツアーのバスで移動しようかと思っていたら、バイタクの友人が「料金は同じだけど、客を連れて行くとマージンがもらえるとこがあるんだ」と、セントラルマーケット近くのプノンペンパブリックトランスポート(昔のホーワジェンディング)へ。

たしかにプノンペン~バッタンバンは、だいたいどこも同じ$3.5。そして彼はそこで$0.75受け取っていた。バス代はいったいいくらなんだ。