あのワットプノン

ワットプノンってたぶんここ。

写真でわかるように、常に人であふれてるプノンペンの人気スポットです。

うそ。
こないだの水祭りの時で、ものすごいことになってるけど、ふだんはこんなに人はいない。
かわりに猿がいる。
たしかここの猿つかまえたら金もらえるんだっけ。
あと象もいる。
バッタンバンの田舎からでてきた子が「象が見たい」っていうからきたんだけど、この日は水祭りで象は休みでした。

そういやGoogleマップでカンボジアに国道が追加されたねー。結構いい加減な線の引き方だけど、いままでカンボジアは真っ白だったので、それでもかなりの進歩。
隣のタイみたいに道が網羅されるのは何年後かな。
あと、地名もタイみたいにかっこよく自国の文字で書いて欲しい。

今回のかさいさん

そういえば、この夏に道交法が改正されて、改正と言うか新たに整備されて、特にバイク関連が、免許が厳しくなって、3ケツとかできなくなって、ヘルメット義務化、とかになったようだけど、まあやっぱりというか、たいしたまだ街中の様子はかわってない。

いやそれでも3ケツは減ってるかな、嫌がるドライバーも多くなった気がするし。

あと、だいぶ前からセントラルマーケット周辺の乗り入れ規制とかあったような気がするけど、みんなたいした気にしてない様子。平気でロータリーがわりにセントラルマーケットの周りの道使ってるし。

ヘルメット義務化なんて徹底できるのかねー、いまのプノンペンで。移動中のおっさんとモトドップの区別が余計付かなくなっちゃうじゃん。

反面、いまごろやっとヘルメット義務化なの?なんて驚く人もいるかもしてないけど、カブ大国のベトナムでもやっと今年からなんだよねー。反対隣のタイだってそんな昔からじゃないし、そもそも日本でも原付のヘルメット義務化されたのって、おれが中学生とかのころだよなーたしか。それまでは日本でもみんなノーヘルだったんだ。

2007CPP歌謡祭

今年のカンボジアの最優秀ヒット曲といえばこちら。

モタナピアップチアクマエ

なんかチャゲアスかなんかの古い曲も夏ぐらいからさんざんあちこちでかかってたんだけど、地元の人へのインパクトということでやっぱりこの曲でしょう。
散歩とかしてて客のいないカラオケ屋とかからよくこの曲が流れてきてたし、このビデオもさんざん見た。

これぞカンボジアって感じのPVがすごくうまく作られてるよねー。
しかも周辺国のカバー曲があふれるカンボジア音楽界で、まったくのオリジナルでしょ。若者文化のなかで徐々に盛り上がってるクメールヒップホップをうまく消化してて感心する。
最初みかけた時は、見知らぬ店の前で数分間立ち止まったもんなー。

で、その後CD屋を駈けずりまわって、意味不明の問合せを店員に投げかけ続けて、やっとのこと入手できたVCD。

ぜひ聴いてみて、カンボジアを感じてください。

新ゴミ山問題

プノンペンのスタンミエンチャイにあるゴミ処分場。
経済が大発展中のプノンペン中のゴミを分別なしで一気にかき集めて、そのまま埋め立てているゴミの山。その処分方法も問題であるとともに、その山から金になるゴミを探し出して生計を立てている人達や子供たちの存在も無視できない場所。

モトに尋ねても誰も知らないし、わかったとしても日本人がどうしてそんなところに行きたがるのか理解してもらえなかった。
それは去年までの話。

2007年、キャピトル周辺のモトはほぼ全員が道を知っていて、むしろ彼らのほうから「ゴミ山へ行かないか」と営業してくる。Goキリングフィールド?ガンシューティング?
の次にゴミ山だ。
日本でもテレビでやったりしてあっという間に有名になったらしい。

そして多くの観光客が、その山に大量のお菓子持参で行くらしい。
かわいそうなゴミ山の子供たちにお菓子をバラ撒くらしい、お金持ちの日本人様が。

けどねー、ゴミ山に行ってきてチョコ配って喜んでいる日本人旅行者に、顔見合わせて否定的意見を言うほど野暮じゃないけどさー、もうちょっと考えて欲しいのよね。

元々ゴミ山に住んでる彼らは、乞食でも物乞いでもなくてさ、きちんと働いて生計を立てている人達なのよね。しかも、そのままだとあっという間に土地が足りなくなるゴミ処分場で、集まったゴミを分別してリサイクルにまわすという、なくてはならない仕事をしてる人達なわけ。
もちろん生活環境とか衛生面とか子供の問題とかいろいろあるけどさ、彼らは彼らなりのプライドを持って仕事して生きてるわけ。

それを、自分たちの勝手な色眼鏡で「かわいそうな人達」と決め付けて、彼らの生活に
割って入って、チョコばら撒いて、子供たちに悪影響を与えないで欲しいわけ。
だから、なにか手助けしたいのなら、少しでも環境改善できるような働きかけをするとかさ、衛生改善のための手助けをするとかさ、そういう方向から支援したほうがいいんじゃないかと思うの。

アンコールワットで土産物売ってる子供たちにはチョコ配らないのに、ゴミ山でリサイクルの仕事してる子供にはどうしてチョコばら撒くのか?
屋台で飯食ってるとわらわら寄ってくるお腹すかせた子供たちにはチョコを買い与えてはやらないのに、ゴミ山で毎日働く子供にはどうして?
それがどうしても理解できない。

わかりやすいんだろうな、ゴミ山。
土産物売りの子供たちは自然で身近すぎてピンとこないし、物乞いの子供たちはあまりにも衝撃的で現実として認識できずに。
舞台がそろってるんだね、ゴミ山。
そしてチョコ配ったら満足するんだろうな、「いいことをした」って。「私はかわいそうな人達を助けてる」って。
その結果が彼らに何をもたらすかなんて、全然想像もしないんだろうね。
おまけにゃ、物を知らない観光客どころか、中にはNGO団体とかもせっせとバラ撒きやってたりね。しかもそれを宣伝文句にしたり。
どういう思考回路してたらそうなるんだろ。

ゴミ山に行ってきた観光客からきいた話。
彼が到着した先に、白人グループがバナナを配ってたんだって。そこに後から入ってチョコを出したら、あっという間に100人近くの子供たちに取り囲まれて、先にバラ撒いていたバナナを踏んづけて群がってくるんだって。そして子供たちが一斉に声をあげるらしいよ、
「ギブミーチョコレート!」って。
やれやれ。

バッタンバンの変化

ほとんどなーんも変わっとらん。
プノンペンが首都としてあれだけ発展して車の交通量も目に見えるように増えて、シェムリアップもとまらぬ勢いで観光開発されているのに、ここは数年前から何もかわらん。

もちろん、ネットカフェはきれいなのがいくつか増えたし、いままで無かったおっしゃれーなレストランもできてるが、そんなもん。

バッタンバンの人間に聞いても何も変わってないって言うし。

でもそんな中で気になる動きがひとつ。
銀行がばりばり増えてる。
しかもこの1年でいきなりだ。
私がはじめてバッタンバンに来た4年前は、なんとか商業銀行とかなんとか農業銀行とか、地方の信用金庫レベルのものしかなかったのに、いまは、ATM大増殖中のANZ銀行とか、タイの銀行と同じマークの銀行とか、Western Unionの表示がある銀行とか、とにかく綺麗なオフィスの大手がぞくっと登場してる。

こりゃね、来年再来年にかけて大変動するね。
くわばらくわばら。

とりあえず、ロイヤルホテル前の一時間1500リエルネットカフェはゲームセンターになってました。ホテルのロビーは1時間3000リエル。

サンライズは健在だが、みんなが大好きだったKKはつぶれてた。
かわりに、BTCATとかいうエアコンの効いたレストランができてた。

綺麗だった川沿いだが、みごと無残に護岸工事されている。木々をすべて切り倒してコンクリートに。歴史は繰り返すんだなー。
うがった見方をすれば、こういう公共事業とかに汚い金の動きが。

私の通っていた訓練センターには今は、2人の韓国人ボランティアがきているそうだ。
街中にまだ韓国企業の影は見当たらないが、ここにもやっぱり韓国は力を入れようとしている。

白人経営のゲストハウスが中心部にあった。
むっちゃ愛想の悪い白人だった。客はほとんどなし。

中心部の裏道に、日本語学校ができてた。昨日見たときは休日だったので誰もいなかったが、近所に聞き込みをした範囲では、日本人は全くタッチしておらずカンボジア人の先生しかいないという。これから突撃します。

日本人は何人かいるはずなのに、いまだ一人も出会っていない。

プノンペン経済特区

PPSEZ、プノンペン経済特区というところにいってきました。
うーん、なんだこれ。

プノンペンからシアヌークビル方面に20kmほど行ったところの広大な荒地を整備して、工業団地+商業地区+居住地区を作って外資を誘致しようという計画だそうです。

とんでもない広い土地でした。
まだまだ土地の整備中ですが、年内中にはうわもの作りにはいるとか。来年にも工場は稼動するそうです。

で、なんでこれを見に行ったのかというと、
やってるのが日本企業
らしいから。カンボジアなんかで何をやろうとしてるんだろう。
計画のミニチュアモデルでの商業地区は、東京にあってもおかしくないような豪華なショッピングモールでした。

オフィスには日本語ぺらぺらの中国人がいて、丁寧に説明してくれ、車で敷地の案内までしてくれました。ひやかしなのに申し訳ない。
そもそも工場建設の視察にくる奴らが、ルモーなんかに乗ってこないだろうに。

でも、話を聞けば聞くほどいろいろ微妙。

クメール文字の点字表

カンボジアのとある障害者施設に掲示してあったクメール文字の点字表。

点字タイプライタなどもあって、点字を習得した目の不自由な子供が、上手に操作していた。

日本の団体から寄付されたというコンピュータと繋がった点字プリンタもあったが、こちらは操作できる人がいないようで眠ったまま。
タイプライタが点字を知ってる人じゃないと使いこなせないのとは違って、プリンタは普通の文字データがあればすべて点字に自動的に変換できるのが利点。
しかし日本語や英語と違って、そもそもデータ化された文章が少ないのがクメール語の大きなハンデ。

カンボジアでクメール語でのインターネット利用が広がれば、こういうところでも幸せが広がる。

新しいベトナム国境

ベトナムとの新しい国境が開いたようです。

カンダール州のChray Thumという地名だけで詳細は未確認なのですが、カンダール州でベトナムに接しているのはほんの少ししかないので、おそらく、バサック川に沿ってまっずぐチャウドックへ向かっている道だと思われます。
ベトナム側の地名は、An Giang省のKhanh Binhだそうです。

もともと地元向けには行き来があった地点のようなので、外国人の通行が認められた正式な国境に昇格したということでしょう。
ここでカンボジアビザが取れるかどうかなどはまだわかりません。

独立記念日

11月9日はカンボジアの独立記念日で祝日です。
19世紀からフランスの植民地として、ラオスやベトナムと一緒に仏領インドシナを構成していたカンボジアですが、ノロドム・シアヌーク王の長い戦いにより、1953年11月9日にフランスから独立しました。

aekriacy.jpgプノンペンにある独立記念塔(写真)は、この独立を記念して1958年に建てられたもので、毎年独立記念日にはこの塔で式典が執り行われます。
 
もともとアンコールワットの時代からカンボジア王国は存在していましたが、隣のシャム(タイ)やベトナムの攻撃を受け19世紀初頭には両国の二重属国状態に置かれます。
この状態から逃れるため、当時の王はフランスへと救いを求めて自らフランスの支配下に入るのですが、第二次世界大戦後のアジア各国の独立運動を受けカンボジアでも民族運動が盛んになり、1949年に限定的独立を勝ち取り、合法的なクーデターなどを経て1953年の完全な独立となります。

実はその数年前、第二次世界大戦中の1945年3月12日にも日本の占領下で一度独立を宣言しているのですが、日本の敗戦により翌年再びフランス保護下に戻り、独立は消滅してしまっています。その3月12日という独立日は、カンボジアの歴史的にはほとんど相手にされておらず、カンボジア人に聞いても誰も知りません。もっとも当の日本人でもあまり知らない話ですが。

その後、長い内戦状態を経て、現在のカンボジア王国は1993年9月24日に真の独立を果たすのですが、その日は憲法記念日・国王再即位記念日として別の祝日になっています。

水祭りボートレース

雨季の明けるこの時期、毎年11月上旬~中旬にカンボジア最大の伝統行事「水祭り」が執り行われます。今年は11月4日~6日が水祭りでした。
カンボジア人とっての一番のビッグイベントで、前後に前国王誕生日や独立記念日があったり週末とあわせたりで、ほとんどの学校や企業・役所が一週間近く休みとなり、かなりの人の流れがおこります。

そしてその水祭りのメインとなるのがボートレースです。
大きな長い木製の手こぎボートを30人~50人で操って、各州選抜で対抗戦を行います。予選は10月頃から各地で行われ、この水祭りにあわせて首都プノンペンで行われるのが本番です。

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バッタンバンでの予選の様子

本来は、雨期明けを祝う農業行事として、農作業を協力して行うための地域の団結のため、重要で神聖なお祭りでしたが、近頃は、州代表の他にも企業や団体での参加も増えてきたり、仮装してボートを漕いだりとイベント性も増してきているようです。

今でこそ道路や橋ができて便利になりましたが、内陸であっても雨季のカンボジアはそこかしこが浸水して、ボートは生活に欠かせない大事な乗り物でした。
ボートの先端には精霊が宿っているとされていたり、ボートを使わない時はお寺の境内に作られた専用の建物で保管されていたりと、いまでも大切に扱われています。

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モンドルキリの寺院に保管されているボート

ココンからプノンペンへ

ココンからプノンペンへ行くには、ボートで4時間シアヌークビルに行ってから、快適な道をバスで4時間というルートが有名ですが、ダイレクトにはげしい陸路で8時間というコースもあるようなので今回初体験してきました。

まずは近くのゲストハウスからミニバス(ワゴン車)が白人さんをたっぷり乗せて発車です。

ココンからの道は想像とまるっきり違っててビックリ。
たしかに噂どおりの土の道。でもきちんと整地されていて意外と揺れは少ないです。シェムリアップ~シソポン間よりは数百倍まし。
すごい悪路を想像してたのに、ほぼきれいに舗装されてて100km/hでかっ飛ばしてました。

およそカンボジアとは思えない山の中の峠道を1時間ほど行くと、橋のない川に突き当たります。カンボジアではおなじみの渡し舟に車ごと乗ってどんどん進みます。
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その後もぴったり1時間毎に全部で4つの川を越え、5時間かかってシアヌークビルからの国道へ合流です。
1時間毎に発生する川越えイベントも休憩を兼ねててちょうどいい感じ。
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ワゴン車でプノンペンへ行くのかと思っていたら、国道に出たところで僕だけ降ろされてしまいました。他の白人さんたちは逆方向のシアヌークビルへ行くらしい。

ここで待ってればプノンペン行きの大型バスが通るからそれに乗っていけ、とのこと。いやーカンボジアだなー。
ココン~プノンペンの車を頼んだはずなのに。ひどい話だ。

20分ほど待って大型バスが登場。なんとかプノンペンまで到着しました。もちろんはじめからそういう手はずになっているんだろうけどね。

ATM

ついにカンボジアにもATMが現れたようですね。
しかも24時間。
シェムリアップで確認したのは、6号線のスターマート内とオールドマーケット近くの銀行店内。
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いままでプノンペンの空港にはクレジットカードが使えるATMがありましたが、この新しいATMはcirrusやPLUSも使えるようです。しかもクメール語対応ってのがすごいなー。
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いままでは手持ちが無くなったらタイに出国するしかほとんど手立ては無かったのですが、これからは国内でもなんとかなりそうです。
数年前まで極一部以外ではまったく使えなかったクレジットカードも、徐々につかえるようになってるみたいだし、カンボジアもいよいよ発展気配ですね。
とりあえずATMを試しに使ってみましたが、あたりまえですが問題なくドル紙幣を手にすることができました。
でもまだちょっと常用するには怖いかも。

シェムリアップの信号機

ポイペトからカンボジアに入ってシェムリアップに入るまで「信号機が無い!」ということに驚かれる方も多いようですが、シェムリアップの街中にはきちんと信号があります。しかも無意味にカウントダウン機能がついていたりします。
逆に、カンボジアが10年ぶりだとかいう旅行者に会うと、「シェムリアップに信号機ができてて驚いたよー」なんて言われるのですが、私は信号機のあるシェムリアップしか知らないのでなんとも思わずに見過ごしているのですが。

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さて今回のシェムリアップ滞在時に新しい信号機を見かけました。いつ設置されたかは定かではありませんが、調整中というか工事中だったので、いままさに設置されたところかもしれません。私の知る限りではシェムリアップで3つめの信号機です。
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場所は、シヴォタ通りのちょっと折れてるところ、ワットボーからの橋の通りとぶつかるところです。角にはガソリンスタンドとコンビニとファーストフード店があって私はよく利用する交差点です。隣にはごっついホテルができてましたねー。

ちなみに首都プノンペンには信号機はたくさんあります。たくさんと言っても日本と比べたらすごく少ないですが、カンボジアでもやっぱり首都は首都なんだねーってくらい。
第2の都市だといわれるバッタンバンには信号機はいまだありません。シェムリアップに負けてるなー。
あと、なんか頭の片隅にどっかで信号機を見て驚いた記憶があるような気がするんですが、コンポンチャムだったかなー、ちょっと忘れちゃいましたが、どっかにあったような気もします。

プノンペンで夕方とかにキャピトルの交差点や、63の交差点を観察してると、信号の無いところで右からも左からも後ろにも前にも車とバイクが詰まって、誰一人動けなくなってるという不思議な状況に出会うことができます。こういうとこにははやく信号を作ったほうがいいと思うんですが、それよりもうちょっと頭使いなさいよ、カンボジア人。

ポイペトの洗礼

カンボジアに初めてくる人のための歓迎セレモニーとして、このポイペトはピッタリの街だと思います。
きれいなタイから一転ボロいカンボジア、たくさんの物乞いと子供のマネーマネー攻撃。立派なカジノ群に一瞬だまされそうになりますが、すぐにカンボジアの正体がみえてきます。
ぜひとも飛行機なんかで飛ばないで、カンボジアにはここポイペトから入っていただきたい。シェムリアップなんてのはカンボジアの例外なのだから。

国境の街の常として、ここポイペトも治安が悪いとされていますが、カンボジア全体の中でそんなに極端に悪いとは思いません。でもイミグレ周辺には悪人が集結していますので注意は必要です。
実際私も以前ポイペトに滞在したとき、へんな奴に付きまとわれて「俺に金をプレゼントしないとお前は生きてないかもよ~」とか言われ続けました。あー思い出してもむかつく。

さて、陸路でカンボジアを目指そうとすると、まず第1の難関がここポイペトからどうやって先に進むかです。
カオサンのツーリストバスなら両替トラップを潜り抜けておとなしく待っていれば、きちんとカンボジア側のバスに乗れるのですが、鉄道や普通のバスでアランヤプラテートまで来た場合にはここからなんとか次の交通手段を探さねばなりません。

2年ほど前から、イミグレのすぐ裏に無料送迎バスが待機していて、新しくできたというタクシーターミナルまで乗せていってくれるようになりました。旅行者の安全と利便と考えて、ということですがまあ単純に金儲けのにおいしかしません。
そのタクシーターミナルには料金表が張ってあるのですが、たしかシェムリアップ1人$10くらいだったかな、プノンペンは$15、ぼろいカムリにみっちり詰められてこの料金です。しかも今回堂々とその前でボッタクリされそうになりました。どうして1人$15って書いてあるのに4人で$90になるんだよ。
一緒にいたラエリーが切れて、外で個人のタクシーを見つけてきてくれました。いつもはうざいがこういう時は頼もしいぞラエリー。

しかしどう考えても一般のカンボジア人がこんな高価な移動をしてるはずがありません。ピックアップはもちろんあるとして、バスは無いのかと考えます。
実は私は2004年に、ポイペトに一泊して次の日の朝8時のバスでシェムリアップに向かったことがあります。200バーツでした。これなら朝一で国境を越えれば安くすんなりとシェムリアップに行くことができます。
しかし今回はそのバスを確認することができませんでした。シェム行きだろうがプノンペン行きだろうが、バスはすべて国境が開く前の6:30頃に出払ってしまうようです。
これはあきらかに裏がありますね。金づるの外国人旅行者には安いバスには乗せない魂胆でしょう。

帰り道、面倒だったのでシェムリアップからカオサンまでのバスで一気に帰ってきてしまったのですが、ポイペトの街中に入ってから、目を凝らしてバスの中から道路わきを確認していると、ありました「プノンペン 9:00」の小さい看板が。
看板を信用すれば、朝国境が開くのを待ってからでもプノンペン行きのバスがあるようです。探せばシェムリアップ行きもあることでしょう。次回はぜひチャレンジしてみましょう。

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写真は、朝、タイに出勤するカンボジアの人々。

新1000リエル札

他でも話題がでていましたが、昨年2005年末より新しい1000リエル札が登場しています。
いままでは1000リエルだけ仲間はずれなデザインでしたが、新しく50・100・500と共通のデザインとなりました。紺と紫の混じったような綺麗な色合いです。アンコールトム南大門とコンポンソムの港の様子が描かれています。

1月10日にプノンペンでカンボジア人の友達と昼飯を食べていたら、隣に座ったカンボジアのおやじがなにやらお札を取り出して話しかけてきました。なにかと思えばこの新券。いち早く入手したおやじは誰彼構わずに自慢して周っているのでしょう。私もその時は新券がでたなんて知らなかったので、おやじも大喜びの食いつき方をしました。
ところがその後カンボジア在住の日本人に聞いてみたら、新券が出ているなんて情報は知らないとのこと。まさかあれは偽札だったのでは、なんて思いながらバッタンバンに移動しましたが、そこでも見ることはありませんでした。

再び出合ったのは21日のシェムリアップで。当たり前のようにオールドマーケット周辺の両替屋のショーケースに置いてありました。それもごつい束で。
さっそく入手しよう思ったのですが、単に交換してというのも気が引けたので、日本円を両替するときにちょっとお願いしてみました。
両替屋のおやじはあっさりと「はいよ$1分だけでいいの?」と。あ、いや、じゃあ$2分お願いします。
というわけで見事8枚の新1000リエル札を手に入れたのでした。

さすがにカンボジア人は新券のことを知っていますが、まだ一般にはそんなに出回ってないらしく、食堂などで渡してみるとみんな一瞬驚いたように止まってから笑顔で反応してくれます。まあ、そんなのもこの1~2ヶ月だけだと思いますが。

1000リエルだと、小さいバゲットサンドが2つ食べれます。屋台のデザートも2杯いけますね。肉まんが安いとこなら買えるかな。こう考えると結構おいしいなー1000リエル。
1000リエル札とともに、幻の200リエル札もぜひゲットしてください。バイヨンが描かれていて綺麗なお札です。めったにお目にかかれませんが。

さて、今回はこの新1000リエル札を2名の方にプレゼントいたします。ご希望の方は、メッセージ送信かここのコメントもしくはご自身の日記などで新1000リエル札に対する熱い気持ちを語ってください。当選者は私の独断で決めさせていただきます。

アンコールワットへの道

これは2006年の記事です

単純にシェムリアップで「アンコールワットへの道」というと、シヴォタをまっすぐ北に行く道より東側よりのラッフルズからの道のことなんですが、今回はポイペトからシェムリアップへの道について。

ちなみにこの道を通っていると、たまに「電波少年が~」って話をする人もいますが、あれはポイペトからの道じゃなくて、シェムリアップから真北に伸びている道です。おそらくアンロンヴェンへ向かうルートじゃないかな。いまとなってはこちらの道のほうが綺麗に整備されていますね。

今回往復してみましたが、ポイペト~シソポンの国道5号線部分はほとんど舗装されていてまあひどい道では無かったです。問題なのは国道6号線部分。あいかわらずですね。

乾季後半の今頃はそれでもコンディションが良いほうで、雨季真っ最中はぬかるみでバスが通れなかったり、乾季はじめはぼこぼこのまま固まってとんでもないでこぼこだったりします。それでも乾季にはまちがってもピックアップの荷台とかには乗りたくないな~。

ひとつ気になったのが、あちこちで測量をしていたこと。いよいよ舗装されるのでしょうか。シェムリアップでカンボジア人に聞いてみたところ、2008年に全面舗装完成が予定されているそうです。そして2008年以前には絶対舗装をしないという話も。カンボジア的な話ですね。タイとの確執とか、空港をおさえているフランス利権とか、バンコク-シェムリアップ間しか黒字になっていない航空会社のためとか、噂はいろいろありますが。

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シソポンよりちょっと東の道路の様子

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シェムリアップを出て数十分で舗装がなくなる瞬間

PhnomPenh Holiday

日本語入力できません このネット屋
Hageshiku mendou nanode, mata kondo.

というわけで、以下次の日編集。

土曜の夜は、プノンペンの大型ディスコ「SPARK」へ。

ここは、不良外国人や売春婦のたまる下世話なナイトスポットではなく、カンボジアの若者のための健全な最先端遊び場です。大きなホールとステージを備え、正面の天井近くに派手にDJブース。入り口の警備もなかなか厳重。

数年前、できたばかりの頃は、音楽もいまいちでカンボジアの若者も恥ずかしがってステージががらんとしていたのですが、もうすっかり定着してるみたい。

洋物からはじまって、懐かしのタイテクノへ。いやーいいねーやっぱり2002~2003くらいのタイ物は。ステージショーをはさんで今度はレゲトン。カンボジアでも流行っているのか、ガソリーナを2回もまわしていました。
ちなみに、エントランスフィーは無料、ドリンク$2くらい~。

そして日曜の夜は、バイタクの友人が出席する結婚披露宴に便乗。スタイルこそクメールですが、親戚関係者がテーブルを周ってビールを注いで注がれ、おい注いで周ってばかりいないでお前も飲め、グラスもってこ~い、そら一気だ、酔っ払ってくると事あるごとに「かんぱ~い」の連続。こんな風景はどこに行っても変わらないものなんですね。

いい料理をたらふく食って帰ってきました。

プノンペン・リゾート

今日はメコン川の島にリゾートに行ってきました。
違います。
この島にシルク織りの村があって、そこを見てきました。素人目にもその辺のマーケットに置いてある観光客向けのシルク製品より質がいいです。そして安い。
まあお昼はリゾートしましたけど。
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カンボジアのメコン川に生息する謎の水生生物「チカエトーマダー」。