ラタナキリの州都 バンルン

ラタナキリというのは地域というか州の名前で、一般的にラタナキリに行くというのは中心の州都であるバンルンという街に行くことを指します。

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バンルンに到着してさっそく街を探索です。
驚くことに市場前のメインストリートを含めどこに行っても未舗装の赤土。車が通れば土埃が舞って視界がなくなるし、雨が降ったら全面水溜りだし大変です。
あまり見たことない色調の風景に、デジカメもたまに色調異常をおこしてます。

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でもこのバンルンはこじんまりとしてて妙に懐かしさ感じるとてもいいところですね。
なんか西部劇の舞台のような、建物は例によってヨーロッパぽいような、それでいて中国色も強いし、しかしお坊さんとかカンボジアだし、不思議な雰囲気の街です。

ラタナキリへ

ラタナキリへ行くために、前日に聞き込み調査をしたところ、船着場の近くのタクシープールから朝7時すぎに乗り合いタクシーが出発するというので、それに乗ることにしました。
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7時にその場所へ行くと、長身の白人のおっさんがバックパックを傍らに立っています。彼もラタナキリへ行くのでしょうか。やがてやってきたカムリタクシーには、すでにカンボジア人が運転手を含めて6人。満員ではありません、これに乗るんですよ、カンボジアの乗用車タクシーの標準定員は8人ですから。

白人さんと一緒にすでに2人座っている乗用車の後部座席に無理矢理入り込むと、すぐに車は出発。

ストゥントレンからラタナキリへ向かう道は、舗装ではないものの整備されてとても綺麗な道です。揺れは少ないものの、後部座席に4人もいて普通に座れるはずはありませんから、10分もたたないうちに体のあちこちが少しずつ痛みだします。

車中、やっぱり話しやすいのは外国人同士、カンボジアのタクシーシステムの文句の言い合いからはじめて、お互いの旅のことなどを聞きあいます。

その白人さんは宝石を買いあさってカンボジアを周ってるドイツ人でした。

4時間くらいと聞いていたのですが、ドライバーが土の道をがっつり飛ばしてくれたおかげで2時間半ほどで街が見えてきました。

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やがて市場前のタクシーターミナルに車は到着、途中ぼろいゲストハウスに外人2人組で降ろされそうになりましたが、ドイツ人の押しで最後まで乗り切りました。

事前に宿の情報を仕入れて決めてあったので、宿を決めてないドイツ人を誘ってそこまで徒歩移動です。といっても車を降りてから100mくらい。しかし目的の
Ratanak Hotel は改装中で閉まってました。仕方がないので向かいの Kim Marakot Hotel
へ飛び込み。これが大あたり、$5で綺麗な部屋にドイツ人も満足そうでした。

(ネット環境がなかったので、この日記は後で書きました)

ストゥントレン

5月7日の夕方、ストゥントレンに到着。
もうちょっと北にいくとラオスになるカンボジアの北の果ての町です。

ずっと勘違いしてたことがひとつ。ストゥントレンもクラチェやコンポンチャムと同じようにメコン川に面する街だとずっと思い込んでいたのですが、あらためて地図をみるとどうやらそうではないようです。メコンと直角に合流する川には面していても、メコン自体からは少し離れています。

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中心から少し離れたところに、ラオスに向かうための橋を建設中でした。中国資本で建設しているようで、機械類や看板が全て中国語。ラオスを突っ切って中国と結ぶラインを作ろうとしているのでしょうか。かなり遠いぞ。

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ホテルでテレビをつけると、聞こえてきたのはラオ語。きくところによるとこの周辺では、カンボジア人でもラオ語を使う人が多いとか。ちょっと不思議。

一気に北上

今回の最初の目的地はカンボジア北東部のラタナキリなので、プノンペンは1泊ですぐ北を目指します。まずはバスで行ける最北、ラオスとのゲートウェイのストゥントレンまで。

プノンペン~ストゥントレンのバスを運行しているのは数社あるようですが、安かったセントラルマーケット前のバス会社を利用することにします。$10。

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ちなみにここ、昔はホーワジェンディングで前回プノンペンパブリックトランスポートに変わっていたのですが、今回さらにプノンペンソリヤトランスポートになっていました。意味不明。

所用予定時間は8時間ということで覚悟して朝7時にバスに乗り込みます。

途中いくつもの街で停まって休憩や客の入れ替えをしながら行くのですが、コンポンチャムからクラチェの間にいくつかある街がマイナーなのに意外と発展してて独特な雰囲気があってとても気になっています。写真2はスオンという結構でかい街。山間の坂の途中に突然広がるメモットという街も、魔法使いを意味するその名前からして実にミステリアス。次回はこのへんの調査をしてみたいですね。 159929206_253

そんなこんなで9時間後、午後4時にバスはストゥントレン到着です。意外と近かった。

ちなみにプノンペンからクラチェまでの道は舗装路でまったく問題ありませんが、クラチェからしばらく進んだあたりからあやしくなってきます。路面はそう悪くないですが、砂埃がすごいです。あちこちで大工事中なので数年後にはもっとストゥントレンが近くなるでしょう。

プノンペン到着!

今回もまたプノンペンは遠かった。

飛行機6時間、夜中のバスターミナルで待ち3時間、バス7時間、ミニバス1時間半でココン一泊。
今朝ココンを出発ミニバス5時間で国道へ。大型バスが通過するのを30分待ってそれに乗って2時間ちょいでプノンペン到着です。

明日はまた朝7時からバス8時間という大移動です。8時間てことはたぶん10時間くらいかかるな。

おそらくしばらくの間ネットできません。

ココンからプノンペンへ

ココンからプノンペンへ行くには、ボートで4時間シアヌークビルに行ってから、快適な道をバスで4時間というルートが有名ですが、ダイレクトにはげしい陸路で8時間というコースもあるようなので今回初体験してきました。

まずは近くのゲストハウスからミニバス(ワゴン車)が白人さんをたっぷり乗せて発車です。

ココンからの道は想像とまるっきり違っててビックリ。
たしかに噂どおりの土の道。でもきちんと整地されていて意外と揺れは少ないです。シェムリアップ~シソポン間よりは数百倍まし。
すごい悪路を想像してたのに、ほぼきれいに舗装されてて100km/hでかっ飛ばしてました。

およそカンボジアとは思えない山の中の峠道を1時間ほど行くと、橋のない川に突き当たります。カンボジアではおなじみの渡し舟に車ごと乗ってどんどん進みます。
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その後もぴったり1時間毎に全部で4つの川を越え、5時間かかってシアヌークビルからの国道へ合流です。
1時間毎に発生する川越えイベントも休憩を兼ねててちょうどいい感じ。
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ワゴン車でプノンペンへ行くのかと思っていたら、国道に出たところで僕だけ降ろされてしまいました。他の白人さんたちは逆方向のシアヌークビルへ行くらしい。

ここで待ってればプノンペン行きの大型バスが通るからそれに乗っていけ、とのこと。いやーカンボジアだなー。
ココン~プノンペンの車を頼んだはずなのに。ひどい話だ。

20分ほど待って大型バスが登場。なんとかプノンペンまで到着しました。もちろんはじめからそういう手はずになっているんだろうけどね。

ココンのイスラム地区

成田からバンコクについてそのまままっすぐカンボジアのココンへ向かいました。
ココンは何度もきているので今回はプノンペンへ向かう単なる通過点です。

時間をみつけてちょっとチャム地区だけ見てきました。ココンのチャム人地区も結構大きくて、立派なモスクがあったりします。

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村の様子などは見た感じクメールと変わりありませんが、女性の格好をみるとムスリムだってのがよくわかりますね。
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Dengue Fever熱続行中

相変わらずはじけてんなー。

ライブとか見てみたいんだけど、カリフォルニアかー。せめてプノンペンに来てくれればなー。

アメリカなんかこれっぽちも行く気はないけど、5万人もいるっていうロングビーチのクメール人コミュニティは訪れてみたい気もする。
内戦の時、アメリカがカンボジア難民をいっぱい受け入れて、カリフォルニア州に巨大なコミュニティが作られたらしい。いまも多くのクメール人が住んでいて、リトルプノンペンというのもあるとか。なんかうまく想像できないのでとても気になってる。

このボーカルのChhom Nimolの歌声はほんとに素晴らしい、しかしそれでも本家ロ・セレイ・ソティアはもっともっと上なんだよなあ。あんな偉大な歌手は二度と現れないのだろうか。

有森裕子さんの番組

アンコールワットを走り続けて~有森裕子平和への誓い
ってのをたったいまやってたので観た。

フジでは先月放映されたみたいだけど、関西テレビでは今日放映だった、しかもこんな深夜に。

単なるハートオブゴールドの宣伝番組でした。

少なくともドキュメンタリーとしてはいい作りではなかったな。NGOで宣伝ビデオとして配るにはいいかもしれんが。

そろそろまたウルルンでもやってくんないかなー。
ねえロコモさん。

デングフィーバー

注文していた Dengue Fever のCDが届いた。たぶんアメリカから。
新しい Escape from Dragon House のほうはオフィシャルサイトで全曲視聴できるから、その素晴らしさは十分わかってたんだけど、ファーストのほうもすごい。こっちはまるっきりロ・セレイ・ソティアじゃん。クメールばりばりですな。聞きながらにこにこしちまった。

ちなみに Dengue Fever (正しい発音はデンギーフィーバーだな)は、ボーカルがカンボジア女性でクメール語で歌ってるアメリカのバンドです。サイケロックっていうのかな、熱いです。

開いた瞬間とりこにされる危ないオフィシャルサイトはこちら
http://denguefevermusic.com/home.cfm

お坊さんの日本語教室

バッタンバンに若いお坊さんが自主的に運営している日本語教室があります。

シェムリアップにはガイド養成のための日本語学校がたくさんあって活発ですし、プノンペンでは大学を中心にちきんとした日本語教育が行われています。
しかしバッタンバンには、きちんとした日本語学校もなく、常駐しているネイティブの日本語教師もいません。
バッタンバンは日本人旅行者もほとんどこないので、日本語を習得する必要もあまりなさそうに思われがちですが、カンボジア第2の都市として他の教育環境も整っており、周辺の地方から多くの人が集まってくるところでもあるので、日本語学校の設立はかなり熱望されているところでもあります。

そんな環境でも日本語を習得したいという熱心な人たちは、駐在のNGOスタッフや協力隊員などの日本人から少しずつ日本語を吸収し、中にはきちんと初級テキストをマスターした人までいます。
私も在住時に、話し相手くらいの感覚で毎日数人の生徒さんを相手に日本語教室の真似事をしていました。

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お寺で日本語教室を開いているのは、その時の生徒さんの中でも1番日本語が上手だったお坊さんで、なかなか日本語を教えてくれる日本人が現れずに困っていたのですが、他のお坊さんの要望により自ら教壇に立つことを決めたそうです。
ただやはり問題点は発音の部分で、そのためにも日本人の先生が必要だといっていました。
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今回、私はこの先生に感銘を受けて、つい約束をしてきてしまったので、これから少しずつできるかぎりの協力をしていきたいなと思っています。いずれは日本人の先生を派遣できるようになって、きちんと日本語学校といえるレベルまで。
まずは5月に、日本語の辞書を手土産に再訪問する予定です。

お坊さん

カンボジアをはじめとする周辺諸国のお坊さんのスタイルはだいたい同じ。オレンジの布を纏っていてもちろん坊主頭。オレンジの傘ってのもつきものです。

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この坊さんたち、日夜厳しい修行をしているのかと思いきや、意外とのんびり暮らしているらしく、暇なせいかみんな話し好き。有り余る時間を利用して勉学にいそしんでいる坊さんも多く、上手に日本語を話せる坊さんが多くて驚かされます。

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午後とかにお寺とかにいくと、いい感じに話し相手になってくれて暇がつぶせます。というかほとんど坊さんからの質問攻めか、これは日本語でなんていうんだ、で終わってしまいますが。そしてエロ話も大好き。「彼女はいますか」とか「カンボジアの女性はどうですか」とか「日本人の女の子と話がしたい」とかそんなんばっか。あんたら修行の身じゃないのかい。

前にタイ-ラオス国境で、イミグレの建物の影でタバコを吸いながら久しぶりに会ったらしい彼女といちゃついている坊さんを見た。さすがにそれはどうかと思うよ。

ATM

ついにカンボジアにもATMが現れたようですね。
しかも24時間。
シェムリアップで確認したのは、6号線のスターマート内とオールドマーケット近くの銀行店内。
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いままでプノンペンの空港にはクレジットカードが使えるATMがありましたが、この新しいATMはcirrusやPLUSも使えるようです。しかもクメール語対応ってのがすごいなー。
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いままでは手持ちが無くなったらタイに出国するしかほとんど手立ては無かったのですが、これからは国内でもなんとかなりそうです。
数年前まで極一部以外ではまったく使えなかったクレジットカードも、徐々につかえるようになってるみたいだし、カンボジアもいよいよ発展気配ですね。
とりあえずATMを試しに使ってみましたが、あたりまえですが問題なくドル紙幣を手にすることができました。
でもまだちょっと常用するには怖いかも。

シェムリアップの信号機

ポイペトからカンボジアに入ってシェムリアップに入るまで「信号機が無い!」ということに驚かれる方も多いようですが、シェムリアップの街中にはきちんと信号があります。しかも無意味にカウントダウン機能がついていたりします。
逆に、カンボジアが10年ぶりだとかいう旅行者に会うと、「シェムリアップに信号機ができてて驚いたよー」なんて言われるのですが、私は信号機のあるシェムリアップしか知らないのでなんとも思わずに見過ごしているのですが。

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さて今回のシェムリアップ滞在時に新しい信号機を見かけました。いつ設置されたかは定かではありませんが、調整中というか工事中だったので、いままさに設置されたところかもしれません。私の知る限りではシェムリアップで3つめの信号機です。
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場所は、シヴォタ通りのちょっと折れてるところ、ワットボーからの橋の通りとぶつかるところです。角にはガソリンスタンドとコンビニとファーストフード店があって私はよく利用する交差点です。隣にはごっついホテルができてましたねー。

ちなみに首都プノンペンには信号機はたくさんあります。たくさんと言っても日本と比べたらすごく少ないですが、カンボジアでもやっぱり首都は首都なんだねーってくらい。
第2の都市だといわれるバッタンバンには信号機はいまだありません。シェムリアップに負けてるなー。
あと、なんか頭の片隅にどっかで信号機を見て驚いた記憶があるような気がするんですが、コンポンチャムだったかなー、ちょっと忘れちゃいましたが、どっかにあったような気もします。

プノンペンで夕方とかにキャピトルの交差点や、63の交差点を観察してると、信号の無いところで右からも左からも後ろにも前にも車とバイクが詰まって、誰一人動けなくなってるという不思議な状況に出会うことができます。こういうとこにははやく信号を作ったほうがいいと思うんですが、それよりもうちょっと頭使いなさいよ、カンボジア人。

ポイペトの洗礼

カンボジアに初めてくる人のための歓迎セレモニーとして、このポイペトはピッタリの街だと思います。
きれいなタイから一転ボロいカンボジア、たくさんの物乞いと子供のマネーマネー攻撃。立派なカジノ群に一瞬だまされそうになりますが、すぐにカンボジアの正体がみえてきます。
ぜひとも飛行機なんかで飛ばないで、カンボジアにはここポイペトから入っていただきたい。シェムリアップなんてのはカンボジアの例外なのだから。

国境の街の常として、ここポイペトも治安が悪いとされていますが、カンボジア全体の中でそんなに極端に悪いとは思いません。でもイミグレ周辺には悪人が集結していますので注意は必要です。
実際私も以前ポイペトに滞在したとき、へんな奴に付きまとわれて「俺に金をプレゼントしないとお前は生きてないかもよ~」とか言われ続けました。あー思い出してもむかつく。

さて、陸路でカンボジアを目指そうとすると、まず第1の難関がここポイペトからどうやって先に進むかです。
カオサンのツーリストバスなら両替トラップを潜り抜けておとなしく待っていれば、きちんとカンボジア側のバスに乗れるのですが、鉄道や普通のバスでアランヤプラテートまで来た場合にはここからなんとか次の交通手段を探さねばなりません。

2年ほど前から、イミグレのすぐ裏に無料送迎バスが待機していて、新しくできたというタクシーターミナルまで乗せていってくれるようになりました。旅行者の安全と利便と考えて、ということですがまあ単純に金儲けのにおいしかしません。
そのタクシーターミナルには料金表が張ってあるのですが、たしかシェムリアップ1人$10くらいだったかな、プノンペンは$15、ぼろいカムリにみっちり詰められてこの料金です。しかも今回堂々とその前でボッタクリされそうになりました。どうして1人$15って書いてあるのに4人で$90になるんだよ。
一緒にいたラエリーが切れて、外で個人のタクシーを見つけてきてくれました。いつもはうざいがこういう時は頼もしいぞラエリー。

しかしどう考えても一般のカンボジア人がこんな高価な移動をしてるはずがありません。ピックアップはもちろんあるとして、バスは無いのかと考えます。
実は私は2004年に、ポイペトに一泊して次の日の朝8時のバスでシェムリアップに向かったことがあります。200バーツでした。これなら朝一で国境を越えれば安くすんなりとシェムリアップに行くことができます。
しかし今回はそのバスを確認することができませんでした。シェム行きだろうがプノンペン行きだろうが、バスはすべて国境が開く前の6:30頃に出払ってしまうようです。
これはあきらかに裏がありますね。金づるの外国人旅行者には安いバスには乗せない魂胆でしょう。

帰り道、面倒だったのでシェムリアップからカオサンまでのバスで一気に帰ってきてしまったのですが、ポイペトの街中に入ってから、目を凝らしてバスの中から道路わきを確認していると、ありました「プノンペン 9:00」の小さい看板が。
看板を信用すれば、朝国境が開くのを待ってからでもプノンペン行きのバスがあるようです。探せばシェムリアップ行きもあることでしょう。次回はぜひチャレンジしてみましょう。

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写真は、朝、タイに出勤するカンボジアの人々。

新1000リエル札

他でも話題がでていましたが、昨年2005年末より新しい1000リエル札が登場しています。
いままでは1000リエルだけ仲間はずれなデザインでしたが、新しく50・100・500と共通のデザインとなりました。紺と紫の混じったような綺麗な色合いです。アンコールトム南大門とコンポンソムの港の様子が描かれています。

1月10日にプノンペンでカンボジア人の友達と昼飯を食べていたら、隣に座ったカンボジアのおやじがなにやらお札を取り出して話しかけてきました。なにかと思えばこの新券。いち早く入手したおやじは誰彼構わずに自慢して周っているのでしょう。私もその時は新券がでたなんて知らなかったので、おやじも大喜びの食いつき方をしました。
ところがその後カンボジア在住の日本人に聞いてみたら、新券が出ているなんて情報は知らないとのこと。まさかあれは偽札だったのでは、なんて思いながらバッタンバンに移動しましたが、そこでも見ることはありませんでした。

再び出合ったのは21日のシェムリアップで。当たり前のようにオールドマーケット周辺の両替屋のショーケースに置いてありました。それもごつい束で。
さっそく入手しよう思ったのですが、単に交換してというのも気が引けたので、日本円を両替するときにちょっとお願いしてみました。
両替屋のおやじはあっさりと「はいよ$1分だけでいいの?」と。あ、いや、じゃあ$2分お願いします。
というわけで見事8枚の新1000リエル札を手に入れたのでした。

さすがにカンボジア人は新券のことを知っていますが、まだ一般にはそんなに出回ってないらしく、食堂などで渡してみるとみんな一瞬驚いたように止まってから笑顔で反応してくれます。まあ、そんなのもこの1~2ヶ月だけだと思いますが。

1000リエルだと、小さいバゲットサンドが2つ食べれます。屋台のデザートも2杯いけますね。肉まんが安いとこなら買えるかな。こう考えると結構おいしいなー1000リエル。
1000リエル札とともに、幻の200リエル札もぜひゲットしてください。バイヨンが描かれていて綺麗なお札です。めったにお目にかかれませんが。

さて、今回はこの新1000リエル札を2名の方にプレゼントいたします。ご希望の方は、メッセージ送信かここのコメントもしくはご自身の日記などで新1000リエル札に対する熱い気持ちを語ってください。当選者は私の独断で決めさせていただきます。

アンコールワットへの道

これは2006年の記事です

単純にシェムリアップで「アンコールワットへの道」というと、シヴォタをまっすぐ北に行く道より東側よりのラッフルズからの道のことなんですが、今回はポイペトからシェムリアップへの道について。

ちなみにこの道を通っていると、たまに「電波少年が~」って話をする人もいますが、あれはポイペトからの道じゃなくて、シェムリアップから真北に伸びている道です。おそらくアンロンヴェンへ向かうルートじゃないかな。いまとなってはこちらの道のほうが綺麗に整備されていますね。

今回往復してみましたが、ポイペト~シソポンの国道5号線部分はほとんど舗装されていてまあひどい道では無かったです。問題なのは国道6号線部分。あいかわらずですね。

乾季後半の今頃はそれでもコンディションが良いほうで、雨季真っ最中はぬかるみでバスが通れなかったり、乾季はじめはぼこぼこのまま固まってとんでもないでこぼこだったりします。それでも乾季にはまちがってもピックアップの荷台とかには乗りたくないな~。

ひとつ気になったのが、あちこちで測量をしていたこと。いよいよ舗装されるのでしょうか。シェムリアップでカンボジア人に聞いてみたところ、2008年に全面舗装完成が予定されているそうです。そして2008年以前には絶対舗装をしないという話も。カンボジア的な話ですね。タイとの確執とか、空港をおさえているフランス利権とか、バンコク-シェムリアップ間しか黒字になっていない航空会社のためとか、噂はいろいろありますが。

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シソポンよりちょっと東の道路の様子

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シェムリアップを出て数十分で舗装がなくなる瞬間

クルンテープで予備日

バンコクに到着しています。
柄にも無くカオサンとか泊まっています。
でもなんかなじめなくて午前中からマーブンクロンとかきちゃってます。

それにしてもタイはすごいよなー、土ぼこりの舞う中遠くにやしの木を見ながらでこぼこ道を走ってきて、国境を越えたとたん完璧な道路ときれいな家々。バンコクに入るとすぐ隣の国とは思えない近未来な都市の風景が広がってて。

それでも僕はカンボジア大好き人間なので、タイよりもカンボジアの方がどこをとってもずっと素晴らしい国だと思っています。人もいいし自然もきれい、街並みもすばらしいし、食べ物…

食べ物だけはどうしてもカンボジアは厳しいのですが、それでも無理やり思い込むことにしてます。あの素朴なカンボジア料理の美味しさ!タイ料理なんか辛いだけだしダメダメさ、と。

しかしそれだけ無理に思い込んでも、どうしてもカンボジアが勝てないタイ料理がひとつだけあります。
カオマンガイ。

いやーこれだけはタイの圧勝ですね。カオマンガイのためにタイが存在するといっても過言ではないくらい。

クメール人よ、鶏肉の骨はきちんと取り除いてくれ。

さようならカンボジア

明日カンボジアを離れます。
いやー帰りたくないなー。回数を重ねるごとにどんどん好きになる恐ろしい国です。(逆にベトナムとかは2度と行きたくないけど)

さて、昨日なぜかシェムリアップでは明け方激しく雨が降りまして、カンボジア人たちもおかしいと言ってました。まだまだ乾季なのにたまにあるんですよね。

そして今日の午前中は曇っていて風があってとても寒いです。Tシャツ1枚ではとても居られないくらい。絶好の遺跡観光日和ですね。

といっても今回はどこの遺跡にも行ってません。
プレアヴィヒア行きたかったなー、でも日程と予算が足りなくて…。次回は必ず。

カンボジアの不思議な面々

昨日の夕食、在カンボジアの知人に誘われて中華を食べに行きました。そこでまた強いキャラの在住日本人と会いまして、チェンラのリンも合流してものすごい面子に。これで美容師さんが加わればロンだそうです。

その後はリンがどうしても飲みたいっていうから、一緒に2人でバーストリートへ。なんだか酔っ払った年下のカンボジア人からありがたいお説教と愚痴を長々と頂きました。大変なんだなー彼も。

さて、そろそろ出国の計画を立てなければなりません。

諸々のスケジュールから、今回は素直にポイペトに戻るルートを考えてましたが、今朝、アンロンヴェンルートに興味があるという旅行者と遭遇。一緒に行けるならちょっと無理してもいいかなー。でもそれだとスケジュール的にかなり厳しい。どうしよう。