もう落ち着き気味の話題だけど、参考地図はっとく。自分へのメモ。
ついこないだも
「タイはひどいですねカンボジアの遺跡とろうとして」
なんていう安易な日本人がいてがっかりした。
情報統制されてるカンボジア人は仕方ないとしても、
日本にいて自由に情報つかめるんだったら、
もうちょっと調べたりメディアを疑ったりしようよ。
もちろん誰の疑うところもなくプレアヴィヒアはクメールの遺跡。
しかしクメール遺跡=カンボジアのもの、と簡単にいくわけでもない。
スリンとか、いまのタイの領土内にもクメール遺跡はたっくさんある。
1907年、宗主国フランス様がタイとの国境線を決める。
基本的に分水嶺を国境とした。
プレアヴィヒアは分水嶺のあっちなので基本に忠実ならタイの領土。
しかーし、なぜかここだけ大幅にタイ側にシフトさせた線を強引に引いてる。
1934年頃、タイが調査して「おかしくねー?」と気付く。
その後、進駐。
すったもんだがあって、
1962年、国際司法裁判所でやっぱり遺跡はカンボジアのものと決定。
タイも納得して撤退。
ここがポイント、決まったのは遺跡そのものの部分だけ。
タイの言い分
「遺跡はカンボジアでいいけど、そこ以外はやっぱり分水嶺で引くのがよくね?」
カンボジアの言い分
「フランス様が決めたんだから周りも全部オレのもの」
今争ってるのは、この地図の緑の斜線の部分。
遺跡自体を奪い合ってるわけでは決してない。
うーん。
こりゃ一度行って見ないとわかりませんなー。