講釈たれる

独り言なので、反論・意見は欲しいけど、あまり真に受けないで。

やっぱり最近特にいらつくこと。
偽善という言葉だけではかたずけられない人たち。

・カンボジアに女の子を買う目的だけできてる人
・カンボジアに葉っぱとか薬とかやりにきてる人
・カンボジアの子供たちを助けたいと言う人

この3つの例が同系列だということを理解できない人が多すぎて困る。
共通点は「己の欲望」。
もちろん、カンボジアの人と環境とを利用してビジネスしたいと言ってる人も同じ。

そりゃー、犯罪であるとかモラルの問題とかあるけど、
すべて、自分の近くではうまく満たされない欲求を、
外に求めてるという点では同じなんだよ。

子供たちの目が輝いてて素敵。
子供たちの笑顔が見たい。
子供たちと遊んで癒される。
弱者であるカンボジアを利用してんのは一緒じゃん。
「私が子供と遊んで癒される」のと「あの人が気持ちいいことして癒される」のが同じである
ことをきちんと認めようよ。

ボランティア、ベンチャービジネス、世界一周旅行、薬物依存、カメラマン志望、自分探し、
長期休養、女買い、カジノ好き、日本社会から脱落、自称日本語教師、
みーんな一緒。

なぜか「ボランティア」だけ、「私は綺麗です」「他の汚れた人たちとは違います」とか
主張するから。

別にカンボジアにえせボランティアで来るな、といってるわけではない。
よそ様の国におじゃましてることを認識して欲しい。
その上で堂々と自分のやりたいことをやればいい、きちんと理解した上でね。

きちんとやってる人は、ちゃんと割り切ってやってるはず。
少なくともそういう人たちから「助けたい」なんて言葉はでてこないだろう。

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