台風クロヴァンはカンボジアの木

日本の政治についてまったく前知識のないカンボジアの方からのご報告。
あっちのテレビの報道によると、
「日本人は今後の中国の発展とアメリカ経済の終焉を見据えて、
いままでの親アメリカ政党ではなく、親中国政党を選んだ。」
らしい。
いったいどこのチャンネル見ての話なんだか。

選挙が台風のようだった、とかそういうのではなくて。

クロヴァンが来てるよね。
台風。

台風についてるクロヴァンって名前、カンボジア由来で、
調べてもなんかカンボジアの謎の木、みたいになってるけど、
あれでしょ、クラヴァン山脈の。
カルダモンだよね。
あれ、カルダモンってメジャーじゃないの?

そもそもクラヴァン山脈ってなんでカルダモン山脈なんだろう、と調べてみたら、
- 少なくとも19世紀末から儀礼を伴うカルダモンの収穫が行われていた記録があり
- 中央政府はこの植物に万能薬としての価値を見出し
- 貢納・徴税による管理を通じ海外に輸出してきた
ということらしい。
いまでもカルダモンいっぱいとれるのかなー。
ちょっとビジネス臭が。

たしかクラヴァンあたりは、クメールでもタイでもなくて、いまでも少数民族の住む土地だよなー、
サムレ族とかペアル族とか。
クメールの王に言われてカルダモンを献上してたんだな。
てことはそこそこ独自の文化は持ってるはず。

会ってみてー。

1月7日プランピーマカラは戦勝記念日

今日は祝日だった。
なにげにカレンダー見て気づいた。
戦勝記念日?
どこに勝った日だ?

朝から人民党の帽子をかぶって人民党の旗を持った人たちが行進してる。
選挙とかはないはずだけどなー。

カンボジアでは祝日にはあちこちの家で国旗を掲揚するけど、
今日は完璧に揃ってる。出てない家がないくらい。

そして目立つのが、通常の国旗に混じって見慣れない国旗。
赤と青のツートーンに黄色いアンコールワット。
これってあれだな、UNTACが入る前のヘンサムリン時代の旗だな。
しかしなんでこんなものが。

ちょっと調べて少しづつ解決。

今日は、ポルポト政権が倒された日だ。
もっと正しく言うと、
カンボジア救国民族統一戦線がカンボジア侵攻を達成させた日。
現政権の前身が、ベトナムを外患誘致してプノンペンを占領した日。
本当の悪夢がはじまった日、とも言える。
1979年のこの日から、10年以上にわたって内戦が続くんだ。

カンボジア王国としての記念日ではなく、
カンボジア人民党の記念日ってことか。
しかも30周年。
素直に祝える日ではないことは確か。

この違和感について、わかりやすく書いてある記事を見つけた。

http://cambodiawatch.net/cwnews/seiji/20090107.php

おっかねー。 けだものっていわれちゃった 。
ここの日記見つかったら逮捕されるな、たぶん。

別にサムレンシー支持ではないけど、
自分はまだまともな思考ができてるんだな、と安心した。

独立記念日

11月9日はカンボジアの独立記念日で祝日です。
19世紀からフランスの植民地として、ラオスやベトナムと一緒に仏領インドシナを構成していたカンボジアですが、ノロドム・シアヌーク王の長い戦いにより、1953年11月9日にフランスから独立しました。

aekriacy.jpgプノンペンにある独立記念塔(写真)は、この独立を記念して1958年に建てられたもので、毎年独立記念日にはこの塔で式典が執り行われます。
 
もともとアンコールワットの時代からカンボジア王国は存在していましたが、隣のシャム(タイ)やベトナムの攻撃を受け19世紀初頭には両国の二重属国状態に置かれます。
この状態から逃れるため、当時の王はフランスへと救いを求めて自らフランスの支配下に入るのですが、第二次世界大戦後のアジア各国の独立運動を受けカンボジアでも民族運動が盛んになり、1949年に限定的独立を勝ち取り、合法的なクーデターなどを経て1953年の完全な独立となります。

実はその数年前、第二次世界大戦中の1945年3月12日にも日本の占領下で一度独立を宣言しているのですが、日本の敗戦により翌年再びフランス保護下に戻り、独立は消滅してしまっています。その3月12日という独立日は、カンボジアの歴史的にはほとんど相手にされておらず、カンボジア人に聞いても誰も知りません。もっとも当の日本人でもあまり知らない話ですが。

その後、長い内戦状態を経て、現在のカンボジア王国は1993年9月24日に真の独立を果たすのですが、その日は憲法記念日・国王再即位記念日として別の祝日になっています。